北海道釧路市阿寒町雄別にある雄別炭鉱職員のための福利厚生施設『職員クラブ』。来賓などをもてなすための施設で『雄別御殿』とも呼ばれ、閉山後に山荘として利用された職員合宿とともに取り壊しを免れたようですが、山荘はすぐに閉鎖となり、現在、職員合宿は基礎だけ、職員クラブは半壊の状態でかろうじて遺っています。職員クラブの探索後は雄別炭鉱の主力採炭現場だった苔樋地区にある『堤沢坑口群』へ。堤沢はアクセスが容易なので2回目の訪問となりましたが、アクセスが大変な北進や奥雄別地区には行ける気がしませんw
撮影1974年~1978年の地理院地図、中央の建物が在りし日の職員クラブです。(出典:国土地理院ウェブサイト https://maps.gsi.go.jp/ )
雄別炭砿アーカイブより (発刊 ウルトラウォーク実行委員会) |
これが職員クラブにアクセスする道路です。真夏の訪問だったので草は生え放題、おまけに倒木が道を塞いでいます。9年前には車が通れるくらいに片付いていたのに現在は完全放置の模様です。2007年、経済産業省より『我が国の近代化を支えた北海道産炭地域の歩みを物語る近代化産業遺産群』に認定され、遺構の案内看板の設置や遺構周辺・道路の草刈りなどさかんに準備が行われたもののうまく活用することが出来ず今日に至っているのではないかと。熊・ダニ対策を行い藪に突入します。
徒歩3分、山の手というだけあって少し勾配のある荒れ道を藪漕ぎし9年ぶりに再会です。外出自粛要請が始まったあたりから熊の出没情報が増えている気もするので用心しながら歩きましたが特に何事もなく到着、現地にも熊の気配はありませんでした。
トイレの様子です。便器破壊魔に荒らされることなく残っています。以前、足元に落ちていたマンガ雑誌が無くなっていますね。ちなみに奥の個室も確認しましたが、便器は無事でしたw
浴室も確認してみます。
特に変化はありませんね。
物置小屋の消失にショックを受けながら一旦正面玄関へ戻ります。
正面玄関です。この先はほぼ完全に崩壊しています。今立っている場所ですら危ない状態。アーチの壁や電話室・浴室・階段などはどこかに行ってしまいました。
閉山から50年が経過してもなお遺る建物を確認し終え、再び藪漕ぎで戻ります。
職員クラブ探訪後は堤沢へ。坑口群までは道道667号から雄別林道に入りますが、たまに林道ゲートが閉まっていたりするので行ってみないとわからない出たとこ勝負になりますw 今回はゲートオープンでした。
雄別林道ゲートから多少抉れた悪路を5kmほど走行、約20分で到着しました。ここは8年ぶりになります。道沿いに並ぶ坑口は手前から、①堤沢総排気坑口、②堤沢総排気人道坑口、③堤沢総排気風洞坑口、④二卸入気坑口です。昭和40年頃の主力採炭地域は苔樋地域と奥雄別地域で、苔樋地域は堤沢と北進の2地域に分けられていました。堤沢には新斜坑、一段卸、二段卸、新二卸の斜坑がありいずれも卸(下に降りていく)坑道、対して北進には昇(上に登っていく)坑道である北進昇の斜坑があったようです。ここにある坑口群は堤沢卸の排気と二卸の入気を担っていたものと認識していますが、どこまで合っているのかは自信ありませんw
邪魔にならない場所に車を停め探索を開始します。当日は結局最後まで誰も走行することはありませんでしたがw
①堤沢総排気坑口 |
②堤沢総排気人道坑口 |
地下にある坑内の通風状態を確認するためメンテンスで使用した人道坑口だと思います。
③堤沢総排気風洞坑口 |
8年ぶりに来てみると、乗っかっている倒木が増えていましたw
穴からは風洞を密閉したコンクリートを支えている金具のようなものが見えます。
坑口の金網越しに内部を確認してみました。
④二卸入気坑口 |
雄別通洞と直結している入気坑口です。周りの坑口に比べて大きなもので、少し小高い場所にあることもあって迫力があります。