北海道白糠郡白糠町西庶路にある庶路炭鉱跡。庶路炭鉱は1938(昭和13)年に明治鉱業が鉱区を買収し、翌1939年に開坑されました。
1944年、太平洋戦争の激化で一時保坑となりましたが、戦後すぐに操業を再開。戦後復興期を迎え政府により炭鉱内外の整備や機械化が推進され、庶路炭鉱も機械化に向けての研究が進められました。
また、炭鉱従事者の増員に伴って炭鉱住宅街にも住宅や病院が整備されていきます。1955年に石炭鉱業合理化臨時措置法が施工されるなか、庶路炭鉱は本格的な機械化に取り組み1961年に立坑の営業運転をはじめます。
建設に3億円以上を要した立坑の成果が得られる前に明治鉱業は石炭鉱業合理化政策への対応で本岐炭鉱を分離、町ぐるみでの存続運動のかいなく1964年に閉山となりました。
まずは石炭積み出しホッパー
数年ぶりに庶路炭鉱選炭場の様子を見に来ました。
真冬の訪問でしたが、今年はまだ雪が降ってないようです。
石炭積み出しホッパーです。あまり時間が無いので今回は簡単に見て回ります。
かつては西庶路駅と鉄路が繋がっており、石炭はここから鉄道で運ばれました。
レールは既に撤去済みですが、ここに石炭貨車が入っていたようです。
こちら側にも並行してレールが敷設されていました。
足元に転がっているのはホッパーの部品でしょうか?
こういうものが落ちてくることもあるので注意が必要です。
開口部の周辺はかなり傷んでいるようで、コンクリートが一部欠損しています。
こちらの穴にはいろいろな物が詰まっています。
こちらはスカスカですね。空が見えます。
選炭場からホッパーを見下ろしてみます。
続いて選炭場の遺構たち
選炭場の様子です。どれが何かは相変わらずわかりませんw
炭鉱の遺構についてはこちら『北の細道』様が詳しいです!
これも何だかわかりませんが、ここにある遺構で一番劣化した雰囲気のある設備です。
コンクリートの角が取れてボロボロになっています。
遺構の内部です。あまり大きくもないし広くもないのですが、選炭関係のもの?
裏手に回ってみます。
壁だったようなものが崩れてる感じかな?
中を除いてみます。
やっぱりさっぱりわかりません。木が成長中です。
最後は庶路名物、傾いたポケット
こちらは庶路名物、倒れそうで倒れない傾いたポケットです。
いや、倒れそうというほどでもありませんねw
ポケットの中に石炭は無く、代わりに木が生えています。
このポケットは脚が無くなっているため、このように傾いています。
なのでバランスは取れています。
何故脚が無くなっているのかは知りません。
解体途中で鉄だけ取ってやめたのでしょうか?
ずっとそこにある庶路名物『傾いたポケット』。
他の炭鉱跡ではあまり見かけないものだと思います!