北海道釧路市阿寒町の雄別炭鉱。前回は砿業所周辺と病院を探索し、「雄別御殿」とも呼ばれる木造建物の職員倶楽部へ向かう途中で異変を感じ中断。
その数週間後の訪問ですが、来てみると雪景色へと変わっていました。
雄別炭鉱-冬-
前回断念した坂道です。今回は静かです。
山の手への坂道を登ります。周辺には多数の古そうな石垣が見られます。
職員倶楽部の建物が見えてきました。足元には小動物の足跡・タイヤ痕もあります。
タイヤ痕は積雪後のものですが、わざわざここまで車で来る人が居るんですねw
木造の建物は既に半壊状態です。この建物は、官庁等の来賓をもてなすために利用されていた施設で宿泊も可能だったようです。『雄別御殿』とも呼ばれていたらしいので、当時としては贅沢な造りだったのではないでしょうか?
閉山後に山荘として利用された職員合宿とともに取り壊しを免れたようですが、山荘はすぐに閉鎖となり、現在、職員合宿は基礎だけ、職員クラブはご覧のように半壊の状態でかろうじて遺っています。
建物左側の様子です。ほぼ壊れてます。
この辺りは時期が来ると雪がどっさり積もります。一度の降雪量なら東北や北陸の方がケタ違いに多いのですが、この地方では冬季の平均気温も最高気温も氷点下なので雪が溶けることなく根雪として残り、積もり積もった雪の荷重が春までかかり続けます。
雪下ろしもされず、長期の荷重に耐え切れず倒壊してしまうのはもはや宿命と言えるでしょう。
眼の前にパイプがあったりしますので、ぶつからないよう注意。
玄関前まで戻ってきました。周辺は足元だけでなく頭上にも注意が必要です。
屋根を支える柱は、ちょっとした力を加えると倒れてしまいそうです。
倒壊してしまえばもう二度と見ることが出来ないので、危険を承知で入ってみることにします。細心の注意を払って。
風除室を振り返ります。
風除室の屋根です。内部から見ても危うい状態になっていました。
天井のメダリオンがまだ遺ってますが、今にも崩れてしまいそうです。
ほとんどの床は落ちてしまっています。
壁に書かれていた落書きでしょうか。粉々にはなっていますが腹立たしいですね。
配管が伸びてきていますが、水道管でしょうか?不自然に見える露出配管です。
ポリバスですね。病院と同じ、ピンク色が映えます。
これは電話室なのかな?防音壁で仕切られた小部屋です。
1Fには他にも部屋があったと思われますが、行ける部屋はもうありません。
アーチのデザインが素敵です。アーチの向こうには何があったのでしょうか?
内壁が外気にさらされ、もう長いことは持たないでしょう。
階段は強度的になんとか行けそうな感じです。柱がゴージャスですが、当時はどんな装飾だったのでしょうか。
1Fと2Fの間です。板自体は厚みがあってしっかりしてそう。
自ら壊してしまいたくないので慎重に、強度を確かめながら一歩一歩降ります。
無事に1Fまで戻りました。
建物を出ます。壊れる前に来たかったな。
外に出ました。比較的損壊の少ない建物右側の様子を確認するため回り込みます。
樹木が建物に襲いかかり、外壁にヒビが入っています。
足元には大量の鍋を発見。雄別は金属泥棒の被害にあったそうですが、鍋は要らなかったのでしょうか?
何の穴かはわかりませんが、地面に4つの穴。油断していると穴に落ちます。
職員倶楽部の付帯施設と思われる建物を見ていきます。
付帯施設というか、建物の一部だったそうです。いつ倒れてもおかしくなさそう。
この中には入らないほうが良さそうです。
職員倶楽部はかなり大きな建物だったのでしょうね。
ここは石炭置き場でしょうか?少し残ってます。
辛うじてここが廊下だったということが雰囲気で解ります。
壁を見るともうかなり傾いてしまっていますね。
こんな環境でもまだ建っていられるのは奇跡に近いのでは?
木造の建物は好きです。木は温もりを感じますよね。
何が何の施設だったのかは残念ながら全くわかりませんが、小さな廃屋なんかよりずっと魅力的です。
裏手に回り、比較的しっかりとしている場所を見つけました。
入ってすぐにスチーム暖房の端末がありました。雄別炭鉱では選炭場にある総合ボイラーで蒸気を発生させ暖房利用していたと聞きます。
内壁のモルタルがきちんと残っていますが、比較的新しいのでしょうか?
この建物は正面にトイレ、右側に浴室が設備されていました。床はタイルです。
錆落ちているバルブハンドルを見つけました。
再び外へ。裏手の奥まで来ました。
ちょっとした廃村の様にも見えます。基礎コンクリートのようなものも見えますが、ここまで建物があったのでしょうか?
ハリボテ状態ですが、窓枠が頑張って残っています。
そろそろ一周でしょうか?正面玄関に戻ります。
周辺を探してみると、木に引っかかった碍子が見つかりました。
更には建物があったと思われる塀の支柱のようなものも見つけました。
周辺ではこのような基礎跡や屋根などが広いエリアに渡って見られ、ここ一帯が山の手の住宅地であったことが確認出来ました!
(参考:雄別炭鉱2007 / 雄別炭鉱2011-春- / 雄別炭鉱2011-秋- / 雄別炭鉱2012 / 雄別炭鉱2013 / 雄別炭鉱病院、心霊スポットに思うこと / 雄別炭鉱2014 / 雄別炭鉱2018 / 雄別炭鉱病院2019・2021 / 雄別炭鉱2021)