雄別炭鉱は、かつて北海道釧路市阿寒町に存在した炭鉱。1923(大正12)年頃に操業を開始し1970年に閉山。人口12,000人は閉山後に姿を消し、現在は購買所・選炭場の遺構・坑木運搬トロッコ橋脚・病院跡などの遺構があるのみです。なかでも病院は閉山間際に建てられたものであり、ほぼ新築のまま廃墟となったため建物としては状態良く遺っています。この雄別炭鉱病院は心霊スポットとして有名になった歴史があり、今も心霊スポットとして扱われ、間違った情報がネットに転がっているのが個人的には残念に思います。
スーパーマーケットのような施設だったようです。入り口に見える大穴は、廃業後に倉庫として利用された時に開けられた穴だとか。
購買所のレジだったものでしょうか?とにかく落書きだらけです。
壁には小窓がたくさんあります。残留物などはありません。
雄別購買の外に出てきました。
購買所の側面。
歪んだ手摺りと階段です。均一に歪んでいるということは元々こういうデザインなのかな。
屋上の鉄柵は植物に絡まれています。
購買所を離れ、総合ボイラーの煙突に来ました。本岐炭鉱の煙突より高くて大きいです。
煙突は解体が大変なので遺ったのでしょうか?
この梯子に登る勇気はありませんが、ここに登ればこの辺一帯の様子が見れそう。
転車台でしょうか?窪みがあります。
こちらは雄別炭鉱病院。
玄関ホールはいきなり落書きだらけになっています。心霊スポットあるあるで千羽鶴も置いてありました。
噂通りの酷い落書き!廊下には床下ピットがあいています。昔はここでの肝試しが流行していましたが、この穴は結構深く多数存在しますので、真っ暗な中では大変危険です。
ガラスが割れずに少しだけ残っています。
側面通用口1 |
落書きシャッターの抜けると階段室になっています。外には隔離病棟の連絡通路だったものの遺構があります。
側面通用口2 |
一旦外に出ました。
再度中へ、今度は離れの別棟に向かいます。どこにでも落書き。
別棟の連絡通路です。
ここは手術室に間違えられていることもあるようですが、手元の資料では炊事場となっていますね。
おふろという落書きがありますが、お風呂だったのかは不明です。
連絡通路から見える病棟です。
病棟に戻りました。この辺りには診察室が並びます。またしてもおびただしい数の落書きと破壊の跡。廃病院となってから一体何人もの人が訪れたのでしょうか?
中央のスロープ以外にも、建物の両側に階段が備えられています。
2Fです。ここも同じような感じの落書きと破壊。
破壊はこちらの方が酷い状態になっています。
各階は病院中央にある、このスロープで行き来出来ます。美しい螺旋のスロープです。
スロープは1Fから屋上まで続きます。
屋上には広いスペースがあります。
螺旋スロープの頂上部ですが、手元の資料には回復訓練室と書いています。
落書きに落書きの重ね書きで、もはや文字は判読不能です。
スロープを降り、1Fまで来ました。
閉山から37年。週刊誌で心霊スポットとして紹介されたのが原因でDQNによる無意味な落書きと破壊が行われました。当時の関係者やこの病院を建設した小野寺組の方はどう感じているのでしょうか。都会でもないのにここまで酷い落書き。週刊誌の罪は重いですね。
(参考:雄別炭鉱2011壱 / 雄別炭鉱2011弐 / 雄別炭鉱2011参 / 雄別炭鉱2012 / 雄別炭鉱2013 / 雄別炭鉱病院、心霊スポットに思うこと / 雄別炭鉱2014 / 雄別炭鉱2018 / 雄別炭鉱病院2019 / 雄別炭鉱2021)