雄別炭鉱2007

2007年12月2日日曜日

雄別炭鉱

t f B! P L
雄別炭鉱は、かつて北海道釧路市阿寒町に存在した炭鉱。1923(大正12)年頃に操業を開始し1970年に閉山。人口12,000人は閉山後に姿を消し、現在は購買所・選炭場の遺構・坑木運搬トロッコ橋脚・病院跡などの遺構があるのみです。なかでも病院は閉山間際に建てられたものであり、ほぼ新築のまま廃墟となったため建物としては状態良く遺っています。この雄別炭鉱病院は心霊スポットとして有名になった歴史があり、今も心霊スポットとして扱われ、間違った情報がネットに転がっているのが個人的には残念に思います。

雄別商事の栄町購買会
スーパーマーケットのような施設だったようです。入り口に見える大穴は、廃業後に倉庫として利用された時に開けられた穴だとか。


購買所のレジだったものでしょうか?とにかく落書きだらけです。


壁には小窓がたくさんあります。残留物などはありません。


雄別購買の外に出てきました。


購買所の側面


歪んだ手摺りと階段
均一に歪んでいるということは元々こういうデザインなのかな。


屋上
外から見えていた通り何も残っておりません。その代わり草や木が意外なほどたくさん生えています。閉山2年前には屋上にバー兼喫茶「ローズ」が開店したそうです。


金属と植物が絡み合う


購買所を離れ、総合ボイラーの煙突に来ました。本岐炭鉱の煙突より大きいです。


煙突にまで落書


煙突は解体が大変なので遺ったのでしょうか?


煙突の梯子
この梯子に登る勇気はありませんが、ここに登ればこの辺一帯の様子が見れそう。


転車台?
窪みがあります。


石炭ポケット
この辺りは選炭場となっています。


ポケットの奥に見えるコンクリートの壁は、選炭機のようです。


こちらは雄別炭鉱病院。


玄関ホール
いきなり落書きだらけです。心霊スポットあるあるで千羽鶴も置いてありました。


酷い落書き
写真の中央付近の床にピットがあいています。昔はここでの肝試しが流行していましたが、穴は結構深く多数存在しますので大変危険です。


品のない落書き


シャッターにまで落書き


ガラスが残る


側面通用口1
外に見えるのは隔離病棟の連絡通路だったものの遺構、と聞いています。


側面通用口2


変な落書き
今度は離れの別棟に向かいます。


別棟連絡通路


手術室に間違えられていることもありますが、手元の資料では炊事場となっています。


おふろという落書き


タイルの浴槽ですが、お風呂だったのかどうかは不明です。


連絡通路から見る本棟の様子


診察室が並ぶ
本棟に戻りました。おびただしい数の落書きです。廃病院となってから一体何人もの人が訪れたのでしょうか?


2Fへの階段


2Fも同じような感じです。


落書きに加え、ひどく荒れた状態になっています。


美しい螺旋のスロープ
各階は病院中央にある、このスロープで行き来出来ます。


スロープ伝いに屋上へ


屋上
広いスペースがあります。


踊り場
先ほどの螺旋の頂上部です。資料では回復訓練室となっています。


落書きに落書きの重ね書きで、文字は判読不能です。


スロープから見る病室


どこもかしこもとにかく落書きです。


スロープを降りながら、1Fの病室が見えて来ました。


閉山から37年。心霊スポットとして紹介されたのが原因でDQNによる無意味な落書きをされ、当時の関係者やこの病院を建設したO野寺組の方はどう感じているのでしょうか。


注意事項

遺構については個人が趣味の範囲で調べたものですので、必ずしも正確なものではありません。また、当ブログでは熊などが生息している危険な場所を扱うことがありますが、探索を推奨するものではありません。なお、当ブログを見て何らかのトラブルに巻き込まれても当方は一切責任を負いません。

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