雄別炭鉱病院の回り斜廊、螺旋のスロープ。この『回り斜廊』は病院の中央に配置され、患者が危険な階段を使わずに一階~三階にある病室・診療室間を、緩やかな斜廊で最短移動出来るという機能的に大変優れたもので、当時の最先端であろうバリアフリーの概念を取り入れた先進的な病院ではありましたが、使われた期間はわずか数年だったようです。
1968(昭和43)年9月、元は木造だった病院で火災が発生。消火には坑口風呂のお湯も使ったとのこと。この時既に新館を建築中で、業務の大半は新館に移っていたため全員無事だったようです。焼失した木造病院の建て替えを急ピッチで終え、今残っている病院が完成。その僅か2年後の1970(昭和45)年、雄別・尺別・上茶路の三山が企業ぐるみで閉山。同年雄別鉄道も廃止となり、街から人が居なくなりました。
閉山後もこの病院が使われていたかは不明ですが、使われた期間は2年くらいかと思われます。最先端の新しい病院が新しいまま廃墟となった…そんな病院が心霊スポットとして未だに語り継がれているようですが、この辺りの真相については『雄別炭礦アーカイブ』という冊子に記載があるのを見つけました。
それによると、噂の発端は昭和の時代、週刊誌で「幽霊が出る場所」として記事になったことに始まり、その後、テレビでも取り上げられミステリースポット「全国一」として有名になったんだとか。この雄別炭礦アーカイブという冊子には更に、『幽霊等の噂はデマであり、実際に見た者はいない。』との記載があり、デマだということをキッパリと断言しています。
窓ガラスはほとんど残ってないのに、落ち葉などが散らかってません。やはり掃除している方が居るのでしょう。
しかしそうは言っても実際のところはどうなでしょうか…これまで雄別地区には数10回、雄別炭鉱病院には5~6回ほど行っている私が、感じたことを書いてみます。
たとえ霊感が無い人間でも嫌な空気を感じたり寒気や鳥肌が立ったりすると言われていますが、またそういう場所では不思議な声が聞こえたり機材の故障、車のエンジンがかからなくなったりライトが点かなくなったり、カメラのシャッターが切れなくなったりするとも言われているようですが、自分は特に何も感じないし何も起こったことがなく、むしろ居心地良く感じるくらい。ただ、夜に行ったことが無いので夜間は不明ですが、いろんな場所で床下点検口がポッカリ空いている病院に夜行くことは自殺行為だということだけは言えます。
とは言え世の中不思議なことはあるし、幽霊というものは古代からある概念。自分の身内の霊体験は信用してやりたいというのもあるので、そういうものを否定するつもりはありません(オカルト好きなので)が、雄別炭鉱病院に関しては何も無いと思います。都市伝説としてそっとしておけば良いのかも知れませんが、雄別が心霊スポット全国一と呼ばれる根拠は何だろうか考えてしまいます。やはり見た感じ?にしても北海道開拓から戦中の時代に造られた道路や鉄路・隧道などに比べたら根拠が無いに等しいし、他にも出そうな炭鉱跡はいくつもあるのに何故雄別なのか?発端である雑誌の、メディアの力というか影響(悪影響)は大きいんだな、と思います。