北海道白糠郡白糠町にあった明治庶路炭鉱。周辺の三井、三菱系の炭鉱が大正時代から操業を続けていたなか、大きく遅れて参入した明治鉱業が採炭を開始したのは太平洋戦争開戦の昭和16年。戦時体制下の増産命令により無理な出炭を強いられ、やがて戦局は悪化、九州配置転換が行われ保坑となりました。終戦後すぐに操業を再開、占領軍の管理下でありながらも復興への道を進み坑内の機械化に着手しましたが、出炭不振の年がしばらく続きます。昭和30年代に入ると炭鉱の深部化対策として立坑の工事を開始、昭和36年に完成しますが僅か3年で閉山となりました。
12月ですので隧道の入り口には氷柱が出来始めています。隧道内はこれからの季節、もっと冷たい氷の世界となって行きます。
この隧道は、坑口から数メートルで崩落しています。隧道内の地面は霜柱が立っているため歩く度にザクザクと音を立てますが、自然に出来たものを踏み壊してしまっているようで何となく申し訳ない気分になりますw
崩落地点から流入した土砂に登り、入り口の方向を眺めてみました。
こちらは巨大扇風機の遺構で、扇風機が設置されていた建物の下部です。ガス抜きのものなのかは不明ですが、縦管が地面から突き出ています。
すぐ近くにはある、立坑への繰込所と言われる遺構です。
庶路川の支流を渡ると、巨大な石炭積込ホッパーが見えてきます。
ここから専用線が西庶路駅まで繋がっていたようです。手元の資料には會社専用軌道と書いています。
上からホッパーを見下ろします。結構高いです。
ホッパー周辺には多数の選炭関連遺構が眠っています。ちなみに右側がホッパーです。
中でも一際古さを感じる遺構はこれ。何の設備かは不明ですがこの建造物だけ特に劣化が激しいように見えます。
ポケットのすぐ隣にある何かの遺構。二階になっているように見えますが、元々地中に埋まっていたような雰囲気もあります。トタンだらけなのも気になりますね。
こちらが庶路炭鉱の名物、傾いた石炭ポケットです。途中まで解体してやめたのか?支える脚だけが何故か無くなり傾いています。
頭上に気をつけながらホッパーに入ってみます。
開口部にはヨダレのような氷柱が出来ています。
現地では気が付きませんでしたが、右側のホッパーに『細粉』の文字が書かれています。
ホッパーから川沿いを歩いていると、地下道の入口?坑口を見つけました。
近づいてみるとたいして大きいものではなかったので、地下への入口ではありませんw 排水関係でしょうか?
隣にも入口があります。
覗いてみると、天井が綺麗に落ちた感じですね。
足元も屋根もボロボロになっています。
『油倉庫』と書いた部屋には、一斗缶が落ちていました。この窪みは何でしょうか?
この建物、コンクリートブロックに隙間が出来ています。亀裂も激しく、危険な状態です。
心なしかブロック壁が歪んで見えますので、急いで部屋から出ました。もうここに入るのはやめておきますw