冬の雄別購買所
まずは下見で訪問。真冬に来たのは初めてでしたので、車でどこまで行けるのか、雪の深さはどうか、などの偵察です。睦人道橋のある道道ゲート前まではある程度除雪が入っているのを確認。なんとなく吹雪きそうな薄暗い天候だったのでこの日は退散です。
翌日。当然、ゲートから先は全く除雪が入ってませんが、良い天気だったのでスノーシューを装着し突入します!
スノーシューを履いてたのに雪がフカフカだったために腰まで埋まります。折角持ってきたストックは邪魔なだけでした。ゲートから徒歩10分、なんとか購買所に到着。
本日は選炭場まで行こうと思ってましたが、スノーシューでも思ったより進みにくいコンディションだったので早々諦めます。
真冬の購買所です。いつ来てもゴミなどはほとんど落ちていません。
真冬の雄別は今回が初めてでしたが、非常に静かで落ち着きますね。
夏場は道道を抜ける車の走行音が30分に1回くらいのペースで聞こえてくるのですが、この季節はそれが無いので本当に静かです。
2F小部屋の真下です。小部屋の床ですが、以前よりも歪みが増してきている印象。今にも落ちてきそうです。
階段は見た目なんとか大丈夫そうですが、壊してしまいたくないので気を遣いながら慎重に上ります。
2F小部屋はやはり歪みが少し進行しているようですね。ここにある落書きはそう古いものでも無いように見えますが、この危険な床に上がって書いたのでしょうか?こうなると消すのも危険が伴いますね。
こんなところにまで落書きがあります。
2Fに比べると、1Fはほとんど落書きが目立たない状態にまで修復されています。
シャッターの周りに崩れてきた壁がポロポロと落ちてきているようですが、前回訪問時とそれ程大きく変わったところはないようです。
購買所の外に出てみます。冬の日差しは柔らかくて良いです。
屋上への外階段には雪が溜まっており、まるで滑り台のようになっていたため上るのに苦労しました。
屋上です。落とし穴がどこにあるのか不明のため、見るだけにします。
階段を上るときに藻掻いた跡が確認出来ますねw
道道に戻ってから少し歩いてみましたが、すぐに疲れてしまい引き返しました。冬は大変静かで良いのですが、移動が大変w
雄別炭鉱 秋
選炭場
これまでは購買所や病院メインでしたが、今回は選炭場からスタート。その後は探索範囲を拡大し、少し奥地の遺構を探してみる予定です。
坑木運搬トロッコの土台を横目に選炭関連の遺構を目指します。
雄別のランドマーク、総合ボイラーの煙突です。無理やりフレームに入れようとして斜めに撮ってますw
選炭関連遺構が見えてきました。
これはズリホッパーのようですが、脚は無くなってしまったのでしょうか?
ホッパーは結構な大きさです。
選炭関連の遺構は斜面に沿って設置されています。これが何なのかはわかりませんが、戦車のように見えます。
選炭施設でしょうか、何が何だったのかはわかりませんが斜面を登ってみます。
頂上?ここにもコンクリートの何かがありました。選炭施設は難しいw
雄別小学校
こちらは雄別小学校のあった(と思われる)場所です。何かの建物基礎があります。
足元には壺や瓶、台所用品などが転がっていました。
学校関連の建物じゃなくて、普通の民家だったのかもw
大曲変電所
選炭場のあった大曲地区に来ました。ここまで来たのは初めてです。
この辺りは大曲変電所の跡のようで、大きな碍子などが散らばっています。
これを見て、最初はトイレだと思ってしまいましたw
変電所の上には小道が続いています。
変電施設の周りで畳の破片を発見。不法投棄?
遺構に近寄ってみます。
割れた碍子が散らばっています。一つ一つが大きいです。
遺構の裏側です。
小道を登ったところから遺構を撮影。手元の資料によると、大正14年に蘇牛発電所で発電を開始したことでこの大曲変電所が造られたとありましたが、正確な年まではわかりませんでした。
小道の先には、地面から突き出た金属がありました。
何でしょう?切断されています。送電の鉄塔とか?
変電橋を越えて
一旦車まで戻りました。当時の愛車『HONDA FIT HYBRID RS』です。コンパクトでスポーティな車が好きなのでものすごく気に入ってた車だったのですが、趣味とミスマッチなのが玉にキズです。今回はこの大曲変電所から更に奥地へと入ります。正面の変電橋を渡って左に曲がるのですが、この先の林道は結構荒れていてこういう車で行かない方が良いですw
変電橋を渡ると、突如轟音が響きます。鹿鳴の滝という人口の滝だそうで、大きな音をたてながらすごい勢いで水が流れていました。
近くの河原で何かの遺構を発見。選炭場か大祥内線の関係でしょうか。
石炭も落ちていました。
少し登ったところにあるこちらは上水道貯水槽、舌辛川から引いた水を溜め炭住街の一般家庭や大曲選炭場でも使われていたようです。
現在は使われてないと思いますが、水は溜まっていました。
昭和40年から5ヵ年計画で水道切り替え工事が実施されたそうですので、昭和40年代後半でも水道が来てない地域があったことを考えると、当時としては早かったのではないかと思います。
昭和49年10月竣工の雄別橋。閉山から5年後に出来た橋を渡ります。
堤沢排気群
今回の最終目的地、堤沢排気群に到着しました。これは堤沢総排気坑口。
いくつもの坑口が並んでいます。
堤沢総排気人道坑口のガス抜き煙突です。
堤沢総排気風道坑口と手前のコンクリートは扇風機の土台のようです。
これは二卸入気坑口。雄別通洞に直結しているとのことです。
坑道の外壁はかなり脆くなっています。
一部分は崩れて穴が開いてます。
隙間から坑口内部を確認すると、入り口だけではなく奥の方でも密閉しているのが分かりました。というところで今回はここまで。
(参考:雄別炭鉱2007 / 雄別炭鉱2011壱 / 雄別炭鉱2011弐 / 雄別炭鉱2011参 / 雄別炭鉱2012 / 雄別炭鉱病院、心霊スポットに思うこと / 雄別炭鉱2014 / 雄別炭鉱2018 / 雄別炭鉱病院2019 / 雄別炭鉱2021)