雄別炭鉱跡(阿寒町)2011 その弐

2011年12月3日土曜日

炭鉱

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北海道釧路市阿寒町の雄別炭鉱。前回は給油所跡から購買所、選炭場周辺と雄別通洞を探索。今回は雄別砿業所事務所の辺りからスタートし、模擬坑道と雄別炭鉱病院を確認しました。

砿業所事務所の階段
階段を登ると事務所があったようですが、建物は既に無くなっています。


事務所の付帯施設
書庫だったと聞いています。何故解体されなかったのでしょうか。


建物内部です。中には何もありません。


天井が剥がれ落ちてます。


付近には他にも遺構があります。まず手前の遺構から探索。


地下に続いています。”注コウモリいるよ”という落書きがあります。道東でコウモリはあまり見かけませんが、昔は居たのでしょうか。


地下と言ってもそんなに深くありません。階段はボロボロです。数メートルで左に曲がります。


その先はすぐに天井の低い部屋へと続きますが、ライトを持ってきてなかったので入口まで。ここも書庫として使われていたと聞きます。なぜ地下書庫?


こちらは砿業所の金庫を置いていた建物だったと聞いていますが、現在は別の宝物が保管されています。


入ってすぐに落とし穴があるので注意。中にいろいろ置いてあるのが見えます。


かつての帯広伊豆屋パンや清酒の看板があります。


瓶や缶、日の出…と書いたプレート。すらせば読めたのですが、探索者のマナーとしては触らない・持ち帰らない・壊さないが基本ですので。


電球と碍子類、テレ…ビ?カラーテレビなか?


街灯でしょうか?当時のものと思われる数々の品。有志の方が落ちていたものを集め、ここに置いたと聞いています。なんとなく拾ってみたとも言っていました。


バス停までありますが、残念ながら停留所の名前は読めません。


阿寒町ナンバーのプレートですが、どうしてこんなに大量にあるのかはわかりません。この阿寒町ナンバー、今となっては珍しいものとなりましたね。


阿寒町民憲章は、1968(昭和43)年11月3日に制定されたものです。


Fantaの看板と〒マークもあります。これら当時の品々はいずれ資料館などに並べたいと考えている、というお話を聞きました。※2021年現在『古潭・雄別歴史資料室』が雄別のお隣り布伏内で開設されており、そこに展示されていたのかも知れませんが、数々の展示品に魅了され探すのをすっかり忘れてしまいましたw


手押し車や竹ぼうきなどは、ここで作業される有志の方の持ち込んだものでしょうか。拾い集めていなければ、自然にのみ込まれ埋もれてしまうところでした。


雄別砿業所事務所の周辺を確認した後は、裏にある階段より模擬坑道に向かいました。


この辺りには保安館があったようですが、そこのトイレでしょうか?便器が綺麗な形で残っています。便器が綺麗ってw


これが模擬坑道です。救護隊の訓練坑道で、実際に火を燃やして煙を発生させ、酸素マスク装着での訓練が行われていたようです。


北坑口です。字体がカッコいいですね。


北坑口の内部にお邪魔します。ライトが無いので奥は見てません。


北坑口と奥に見える南坑口は坑道で繋がっています。


模擬坑道の南坑口です。


やはりカッコいい字体ですね。


内部は北坑口より明るいので、少し入ってみました。


少し進んでみましたが、狭いのですぐに出ましたw


坑口内部から外へ出ます。


模擬坑道に隣接して小さい部屋がありました。


訓練関係の資材置場でしょうか?木材などが目立ちます。燃やすもの?


模擬坑道を俯瞰して見ると、こんな感じです。坑道に設置された煙突が確認出来ます。


煙突はここにもう一つありますね。


模擬坑道から旧道に戻り、病院を目指します。


雄別の病院です。昔は雑誌、今はネットで心霊スポットと言われている病院ですが、何度通院しても何もないし何も感じませんね。※2020年の新聞記事には、「心霊スポットという側面だけが取り上げられて悲しい」「幽霊なんて見たことがない」という雄別出身者の言葉が載っています。


建物中央の玄関です。この辺りにあった激しい落書きは、白で上塗りされています。以前はどぎつい落書きで埋め尽くされていましたが、ここまで修復するのは大変だったかと思います。玄関の右手には受付カウンターがあり、そこに置いてあった千羽鶴なども無くなっていました。お見舞いの千羽鶴だったのか、心霊スポットあるあるの千羽鶴だったのかは今となってはわかりませんが。


診療室が並んでいた廊下です。ここも落書きがほとんど消されています。


更衣室や炊事室など福利厚生施設のある離れとの連絡通路です。


こちらは炊事室。天井が落ちています。


各部屋内部を確認します。1Fは各科目ごとの診療室や手術室、2Fは小児科と入院病室と並んでいますが、ここは何の部屋か不明です。


この病院は各所でピンク色が見られます。イメージカラーでしょうか?ここのタイルもピンクで、浴槽はポリバスでした。ポリバスは昭和33年頃、世の中に登場したようです。病院の新築は昭和43年ですので、ポリバスを採用していたのでしょう。


木製の小上がりと、周辺には古びた缶が落ちています。当時のものなら貴重な残留物かも知れませんが、この病院内にはゴミすら珍しいくらい何も落ちていません。※阿寒町在住の方がボランティアで清掃活動を行っているそうです。詳しくは『古潭・雄別歴史資料室』で


これも何かの洗い場でしょうか?この病院のイメージカラーはピンクだったようです。


階段もありますが、各階は病院中央にあるこの螺旋状のスロープで行き来できるようになっています。車椅子でも往来出来るようにスロープになっているというバリアフリーの概念が既に取り入れられていたのです。


こちらは屋上ですが、何もありません。


屋上から一気にスロープで1Fへ戻ります。


病院の外に来ました。隔離病棟の連絡通路と言われるものです。


振り返ると病院の通用口が見えます。連絡通路というか、この小さな建物自体が隔離室だったのかも知れませんね。


左が隔離病棟。感染症が疑われる場合はここに通された、とかでしょう。右のものは門柱ですかね?


雄別の病院を横目に旧道を戻ります。


山の手町にある木造の建物『職員倶楽部』を目指し、登り始めたところです。


この辺りにも多くの建物があったようで、基礎だけが確認出来ます。あともう少しで職員倶楽部というところで、異音に気が付きました。山奥から木を踏みつけているようなパキパキ音がずっと鳴り続けています。野生動物か同業者かはわかりませんが、何か居るのは明らかです。身の危険を感じたという程ではありませんが、何となく野生動物っぽい感じだったため、こちらは一人ということもあり無理せず出直すこととしました。



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