これまで何度も通っている雄別炭鉱跡。遺構的には炭鉱跡というより廃村という扱いのほうがしっくり来るような気もしますがどうでも良いですねw 今回は初夏に訪問した雄別礦業所事務所周辺の遺構から雄別炭鉱病院にかけての記録です。
雄別礦業所事務所の前からトロッコ軌道のガード下を通り雄別炭鉱病院へと続く旧道です。初夏は鬱蒼としています。
礦業所の階段が現れました。初夏の探索は気持ちが良いのですが、虫が多いのと熊が歩き回る時期に加え草ぼうぼうで遺構が見づらいので微妙。虫・草対策で長靴長袖を装備し暑苦しい格好で突入します。
藪漕ぎしながら進みます。こちらは金庫として使われていたという建物。
金庫はありませんが、地元の方が拾い集めた看板・碍子・バス停・ナンバープレートなどなどが置かれています。有志の方が個人的に拾い集めたと聞いています。
以前にも見てますが、建物の中を確認します。あれ?『イズヤのパン』の赤い看板が無くなってます!盗まれたのでしょうか?どこかに展示されていれば良いのですが。
前回の記事と見比べると、いろんな物の配置が微妙に変わっています。
バス停は健在でした。
大量のナンバープレートも健在でしたが、こんなに散らばってたかな?
こちらは礦業所にあるもう一つの書庫、地下書庫と言われているものです。
地下への階段を降りたところ。入口を見上げると相当崩れていることがわかります。今回はライトを持ってきたので書庫の部屋に突入します。
部屋の入口を振り返ります。鉄の扉みたいなものが倒れてますね。内部は光が入らず当然真っ暗です。見渡してみると何も無い一部屋だけの空間で、どこかへ続いているような出入口は見当たりませんね。
足元には何かを燃やしたような焦げ跡がありました。部屋の大きさは推定12~14畳程度で、天井の低いこんな空間での焚き火は酸素不足による一酸化炭素中毒の可能性がありとても危険です。
現場では気が付きませんでしたが、あの赤いのは発煙筒でしょうか?壁か天井が崩れてきており瓦礫が積もっているだけの何も無い部屋でした。本棚も見当たりませんね。
礦業所から登ったところに保安館がありその向こうに模擬坑道があったようですので、ここからだとちょっと距離があります。そもそも模擬坑道自体は地上にあるものなので地下で繋がっていたという説は無理があるかと思いますが…どうなんでしょうね??
旧道まで戻り、雄別通洞から選炭場まで続いていたというトロッコ軌道の陸橋橋脚が見えてきました。通称ガード下と言われているようです。ガード下は坑木運搬トロッコもくぐり抜けていたようで、こちら側から見ると橋脚の右の切れ目の辺りを通っていたようです。
トロッコ陸橋の橋脚は石組みですが、まだまだしっかりしています。
ガード下を通り、雄別炭鉱病院に到着です。足元にはBB弾が散らばっていましたが、ここでサバゲーでしょうか?病院内では数回、熊を目撃したという情報があるので警戒します。
数年ぶりに訪れた病院です。本当は模擬坑道とか選炭場を見たかったのですが、虫が多かったのでやめておきました。
久しぶりにお邪魔します。1F待合室からスロープで2Fへ登ります。落書きを消した、というか上塗りした跡がたくさん見られます。さぞや大変だったかと思います。
虫が多いのは苦手ですが、スロープの窓から見える景色に関しては他の季節よりも新緑の季節の方がオススメです。
2Fホールです。ここまでゴミ一つ落ちていません。落書きも更に目立たなくなっているように感じます。
螺旋スロープで屋上に向かいます。手摺か何かの鉄管だと思いますが、数年前は黄色だったのに今では緑色に塗られています。コンクリート部分も薄っすら緑色に着色されてしまってますね。
屋上に出ました。この時期は屋上のコンクリートも緑豊かです。
一応、離れのトイレを確認。比較的キレイな状態で、便器も割られてません。
全く壁が残ってない更衣室。柱には雄別林業の刻印があります。正面は社員通用口か何かでしょうか?一旦、ここから外に出ます。
病院裏にある崖の上に雄別通洞の坑口が見えます。崖を登ってみようかと思いましたが、虫が多いのでやめときますw
社員通用口には戻らず、病院横の出入口まで来ました。
スロープ以外にも病院両翼に階段が設置されています。ここから2Fへ。
手元の資料によると1Fには手術室から外科・内科・整形・眼科・歯科・婦人科・X線室・院長室、2Fには主に入院病室・配膳室・小児科・分娩室・看護婦兼処理室があったようです。2Fは落書きと瓦礫で荒れていたのですが…見違えるほど綺麗になっていました。
2Fのフロアを通り抜け、反対側の階段から1Fへ降りて来たところです。出入口の向こうに隔離病棟の連絡通路が見えます。
雄別で赤痢が流行した時に建てられたと言われる隔離病棟ですが、現在は建物基礎とこの連絡通路だけが遺っています。何らかの形で向こう側とこちら側を仕切っていたような雰囲気はありますね。久しぶりに訪問した病院ですが、広範囲に渡るお色直し・散らばっていた瓦礫の撤去がいつの間にか行われていたようです。相当な労力だったと思われますが…一体、この病院に何が起ころうとしているのでしょうか?
(参考:雄別炭鉱2007 / 雄別炭鉱2011壱 / 雄別炭鉱2011弐 / 雄別炭鉱2011参 / 雄別炭鉱2012 / 雄別炭鉱2013 / 雄別炭鉱病院、心霊スポットに思うこと / 雄別炭鉱2014 / 雄別炭鉱病院2019 / 雄別炭鉱2021)