北海道釧路市阿寒町に存在した雄別炭鉱。かつて12,000もの人々が暮らした「雄別地区」は1970(昭和45)年の閉山で無人となり、建物の大部分は解体され原野に戻ってしまいました。閉山から40年以上経った今、この地で眠り続けている数少ない遺構を探し3度に渡って訪れます。2011年1回の訪問。
ガソリンスタンド |
雄別地区のはずれにあるガソリンスタンド。近所にある肥料工場のものと思われる資材が置かれていたり建物全体がブルーシートで覆われていた時期もあってこれまで全貌を見る機会がなかったが、この時は綺麗に撤去されていました。
雄別給油所の文字が確認出来る |
という訳で、やっと内部が見える状態になったのでお邪魔いたします。
ガソリンスタンド内部 |
落書きは内部にも及びます。ヒドイですね。辺りには肥料の生臭さが漂っております。
紐と段ボール片が落ちていますが、当時のものではなさそうな。
建物の裏 |
トイレの窓と換気パイプ、それと脚立が立て掛けてありますね。
壁に遺る各種ロゴ |
色褪せた三菱のマーク、「DIAMOND」「GASOLINE」の文字を確認。
役目を終え朽ちた給油所は、資材置き場という第二の人生を歩んでいます。
栄町購買会 |
雄別炭山駅から選炭場周辺の遺構です。久しぶりに訪問すると、大きな変化が。
4年前は落書きだらけだったのに。
放置され荒れるにまかせていたのに、どなたかが消したようです。薄っすら落書きの跡は残っていますが、ここまで消すにはかなりの労力を掛けたと思います。
放置の方針だと聞いていましたが、保存する方向に動き出したのでしょうか?
落書きがかなり目立たなくなっています。
心なしかピンク色も鮮やかに。
建物としては傷みが進行していて、天井が落ちてきているのが見えます。
天井裏の小部屋です。天井は低いですが、何の部屋だったのかはわかりません。
購買建物の南側側面です。
建物のシャッターには雄別炭鉱のロゴマークが薄っすら確認出来ます。
選炭場の周辺に移動しました。坑木運搬用トロッコの橋脚跡です。
坑木は主に短期間利用の坑道や採炭現場で使われたようです。
巨大な遺構が壁に沿ってありました。選炭関連のものでしょうか?まるで要塞のようです。
壁一面に遺構。斜面には選炭関連の施設と思われる遺構がたくさんあります。
この辺一帯はズリベルトの張り巡らされた大きな選炭場だったようで、全景を見たかったのですが木々に邪魔されてよくわかりませんでした。
旭町の眼鏡橋 |
坑木運搬トロッコを辿るように旧道へ進むと、眼鏡橋に出ます。眼鏡橋は2つありこちらは旭町のもの。橋の向こうに見える建物は雄別炭鉱病院です。もう一つの眼鏡橋は旧道を進んだ錦沢にも架かっており、二つ合わせて眼鏡橋と言われます。この旧道は恐らく大祥内専用線の鉄路だったものと思われます。
旧道と眼鏡橋 |
旧道と言うだけあって一部抉れたり埋もれたりしており、ジムニーでないと走破するのはキツイですねw
雄別通洞の案内板 |
久しぶりに訪問すると、案内板がいつの間にか設置されています。浦幌炭鉱や鴻之舞鉱山のような立派なものではありませんが、手作り感のある小さな案内板です。北海道釧路支庁で「くしろの産業遺産観光プログラム創造事業」を平成17年から2年間、事業を行っていたようなので、その時に整備・設置されたものかも知れません。
雄別炭砿閉山二十周年 |
物故者、亡くなった方の追悼法要ですね。閉山とともにお寺の移転があったようです。閉山から20年=1990(平成2)年の設置でしょうか?
雄別通洞の案内板。もしかしたらここで唯一の看板かも知れません。
雄別通洞坑口 |
坑内水が勢いよく排水されてますが、硫黄の臭いはありませんね。
一応、玄関を確認をします。来てみてビックリしましたが、購買と同様にここも落書きが消されています。何があったのでしょうか?先程の事業と関係があるのかも知れませんね。暗くなってきているので、日を改めてまた探索します。
(参考:雄別炭鉱2007 / 雄別炭鉱2011弐 / 雄別炭鉱2011参 / 雄別炭鉱2012 / 雄別炭鉱2013 / 雄別炭鉱病院、心霊スポットに思うこと / 雄別炭鉱2014 / 雄別炭鉱2018 / 雄別炭鉱病院2019 / 雄別炭鉱2021)