雄別炭鉱跡(阿寒町)2011-春-

2011年11月20日日曜日

炭鉱(雄別)

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北海道釧路市阿寒町に存在した雄別炭鉱。かつて12,000もの人々が暮らした「雄別地区」は1970(昭和45)年の閉山で無人となり、建物の大部分は解体され原野に戻ってしまいました。閉山から40年以上経った今、この地で眠り続けている数少ない遺構を探し3度に渡って訪れます。2011年春の訪問。

雄別地区のはずれにあるガソリンスタンド。
近所にある肥料工場のものと思われる資材が置かれていたり建物全体がブルーシートで覆われていた時期もあって、これまで全貌を見る機会がなかったがこの時は綺麗に撤去されていました。


雄別給油所の文字が確認出来るガソスタ。
という訳で、やっと内部が見える状態になったのでお邪魔いたします。


ガソスタ内部です。落書きは内部にも及びます。ヒドイですね。
辺りには肥料の生臭さが漂っております。


和式トイレがありました。


紐と段ボール片が落ちていますが、当時のものではなさそうな。


裏側に回ってみます。トイレの窓と換気パイプ、それと脚立が立て掛けてありますね。


壁には各種ロゴが遺ります。色褪せた三菱のマーク、「DIAMOND」「GASOLINE」の文字。


役目を終え朽ちた給油所は、資材置き場という第二の人生を歩んでいます。


栄町購買会
雄別炭山駅から選炭場周辺の遺構です。久しぶりに訪問すると、大きな変化が。


購買内部
落書きは消され、土砂も瓦礫も片付けられていました。


4年前は落書きだらけだったのに。


放置され荒れるにまかせていたのに、どなたかが消したようです。薄っすら落書きの跡は残っていますが、ここまで消すにはかなりの労力を掛けたと思います。


放置の方針だと聞いていましたが、保存する方向に動き出したのでしょうか?


落書きがかなり目立たなくなっています。


心なしかピンク色も鮮やかに。


建物としては傷みが進行していて、天井が落ちてきているのが見えます。


天井裏の小部屋です。天井は低いですが、何の部屋だったのかはわかりません。


購買建物の南側側面です。


建物のシャッターには雄別炭鉱のロゴマークが薄っすら確認出来ます。


購買の建物裏にある階段です。


購買側面に通用口があります。


建物の北側です。崩壊が進み、足の踏み場もないほどの瓦礫が散らばっていました。


ほとんどの外壁が剥がれ、鉄骨が剥き出しになっています。


建物を一周しました。


選炭場の周辺に移動しました。坑木運搬用トロッコの橋脚跡です。


点々と並ぶ橋脚。坑内補強のために使用する木材を運ぶトロッコ軌道がありました。


坑木は主に短期間利用の坑道や採炭現場で使われたようです。


石炭ポケットです。沼に沈んでいるようにも見えますが、詳細は不明です。


巨大な遺構が壁に沿ってありました。選炭関連のものでしょうか?まるで要塞のようです。


壁一面に遺構。斜面には選炭関連の施設と思われる遺構がたくさんあります。


この辺一帯はズリベルトの張り巡らされた大きな選炭場だったようで、全景を見たかったのですが木々に邪魔されてよくわかりませんでした。


総合ボイラーの煙突。高いです。


坑木運搬トロッコを辿るように旧道へ進むと、眼鏡橋に出ます。眼鏡橋は2つありこちらは旭町のもの。橋の向こうに見える建物は雄別炭鉱病院です。


この眼鏡橋のほかにもう一つの眼鏡橋が旧道を進んだ錦沢にも架かっており、二つ合わせて眼鏡橋と言われているとか。
この旧道は恐らく大祥内専用線の鉄路だったものと思われます。
錦沢眼鏡橋までは旧道と言うだけあって一部抉れたり埋もれたりしており、ジムニーでないと走破するのはキツイですねw


久しぶりに訪問すると、案内板がいつの間にか設置されています。
浦幌炭鉱や鴻之舞鉱山のような立派なものではありませんが、手作り感のある小さな案内板です。
北海道釧路支庁で「くしろの産業遺産観光プログラム創造事業」を平成17年から2年間、事業を行っていたようなので、その時に整備・設置されたものかも知れません。


坑口浴場に続く階段です。


浴槽が遺ってます。


雄別炭砿閉山二十周年
物故者、亡くなった方の追悼法要ですね。閉山とともにお寺の移転があったようです。閉山から20年=1990(平成2)年の設置でしょうか?


雄別通洞の案内板。もしかしたらここ雄別炭鉱跡で唯一の説明看板かも知れません。


川向いには雄別通洞の坑口が見えます。鉄橋は既に無く、近づくには病院側から回り込まないと行けないようです。


と言うわけで、病院裏の崖を上ってきました。
坑口から坑内水が勢いよく排水されてますが、硫黄の臭いはありませんね。


雄別マークのプレートが外れ、三菱のマークが見えます。右から『雄別通洞』と刻まれています。隠れてますが『昭和拾壹年九月』も表示もあったようです。
それと妙に新しい『安全生産』の看板ですが、これは後付けで元々のものは『生』だけが坑口の上に残っています。


『産』の真下から見上げます。


坑口から崖を降りると病院の裏手に出ます。職員通用口でしょうか?ちょっとだけ見学。


裏口から覗いてみます。


DQNによる落書きが酷いですね。


もう夕暮れの時間なので、最後に正面玄関へ回ってみることにします。


左の白壁が先ほど覗いた職員管理棟で、中央に見えるのは螺旋のスロープ、右には病院棟という感じでしょうか?


正面玄関です。来てみてビックリしましたが、購買と同様にここも落書きが消されています。何があったのでしょうか?先程の事業と関係があるのかも知れませんね。
既に暗くなってきているので、日を改めてまた探索します。

雄別炭鉱2011-秋-へ続く)



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