和歌山市深山にある由良要塞の砲台跡、加太・深山地区の北側に設置された深山第一~第三(男良谷)砲台と隣接する男良谷水雷発射場の探照灯格納庫やトロッコ軌道跡を探訪しました。なお第二砲台は休暇村紀州加太の敷地内にあるのですが、ほとんどが失われており砲側庫しか残ってないという状態ですのでチラッと見ただけで済ませてしまいましまいました。
深山第一砲台までは旧軍道を歩きましたが、周辺は散策路として整備されておりこんな立派な看板も設置されています。手元の資料で知り得た簡単な知識しかありませんが、要塞とは『多数の砲台や観測所などの付帯施設が広い範囲にわたって設置された防御区域のことで、各砲台間が軍道などで接続され軍事集団的に強化されたもの』です。砲台は火砲・砲座・砲床・胸墻・横墻・棲息掩蔽部・砲側弾薬庫・弾薬補給庫で構成され、付帯施設には司令部・観測所・監視所・発電所・将校宿泊所・兵舎・監守衛舎・通信交通設備・厠などがあります。砲台を防御方向別に見ると、正面防御のものを砲台、背面防御のものを堡塁、両方の役割を持つハイブリッドなものは堡塁砲台と呼びます。火砲については加農砲(カノン砲)・榴弾砲・臼砲と種類があり目的によって設置されていました。カノン砲による射撃は平射といい艦艇の舷側を射貫く目的で比較的低い海岸の稜線に設置され、榴弾砲・臼砲による射撃は擲射(てきしゃ)や曲射といい上部から破壊する目的で比較的高所に設置されました。それぞれの射程距離は、長い方からカノン砲→榴弾砲→臼砲の順になります。
友ヶ島と同様、深山砲台跡も整備されており安全のための柵が設けられています。ここは基本的に立入禁止となっている場所が無かったように記憶しています。
階段を降りたところに1つ、左に折れると3つ、計4つの棲息掩蔽部が並んでいます。
降りてきた階段を見上げます。ちなみに同じ由良要塞でも、友ヶ島と違って観光客がほとんど居ない場所でした。友ヶ島の人気は、やはりラピ◯タとかジブ◯の影響でしょうか?それにしてもネット上の友ヶ島紹介記事のタイトルは「まるでラピュ◯みたいな島!」というものがやたら多く、ちょっと食傷気味ですよね?w
まずは1つ目の掩蔽部です。観測所付属室だったようですが、そんなに広くはありません。
こちらは3つ並んだ棲息掩蔽部。手前2つは内部で連絡しています。奥は弾薬庫だそう。
こちらの掩蔽部は先ほどの部屋に比べてだいぶ漆喰が残っていますが、何故でしょうね?あまり使われてない?そもそも現役時はどうだったのか、と思いを馳せてみますw
2つの掩蔽部は内部で他の部屋と連絡しています。こういう通路に萌えますw 個人的には◯ピュタでもジ◯リでもなく屍人や闇人の聖地なんですよねw
こちらには壁に埋まった角材が見られます。何のためのものでしょうか?
階段の途中で振り返ります。掩蔽部がくの字に4つ並んでいるのがわかります。
棲息掩蔽部を抜けた先は第一砲座。胸墻上にあがる階段が見えます。
その向こうに第一・第二砲座間、横墻下の隧道です。地下にはまた掩蔽部が現れます。
地下の掩蔽部。煉瓦の中に突然のコンクリートですが、何でここだけ?この上には通気孔があるようです。
真下から覗くと通気の穴を確認出来ましたが、外光が全く入って来てませんね。通気に気を遣うということは、ここは弾薬庫かな?
掩蔽部の外からは外光が入っているため、中に居てもそんなに暗くはないです。
外に出ました。右の壁に見える突起物は砲弾を揚げるための簡易的な昇降機跡じゃないかと思われます。揚弾井が無いのはこれのためでしょうか?
第一・第二砲座間の横墻下隧道を振り返ります。
こちらは第二砲座。砲床に道標が突き刺さっています。この上は展望台だったかな?
階段を降ります。暗闇好きにはたまりませんw
ただ…気をつけないと白漆喰が服についてしまうので注意が必要です。
こちらは『右翼観測所』です。
ここは全く整備されておらず、自然のままに荒れています。
ここは15センチ臼砲を置いていた堡塁だったようです。
ここも落ち葉だらけで自然のままです。
堡塁の砲側弾薬庫が見えます。
中を覗いたはずですが、写真は撮り忘れてしまいました。
胸墻伝いに歩いていると、掩蔽部で先ほど見つけた通気孔の真上辺りの位置に鉄蓋を発見。植物が塞いでいるため下にはほぼ光が入らない状態になってます。
第三砲座の近くにあったこの丸い遺構は左翼側観測所の跡。
第三砲座を上から確認します。砲床が片方無くなってますね。第一砲台はこのくらいで切り上げ、次に男良谷砲台を目指し散策路に戻ります。