深山砲台【由良要塞】

2018年11月26日月曜日

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和歌山市深山にある由良要塞の砲台跡、加太・深山地区の北側に設置された深山第一~第三(男良谷)砲台と隣接する男良谷水雷発射場、探照灯格納庫とトロッコ軌道跡を探訪しました。なお第二砲台は休暇村紀州加太の敷地内にあるのですが、ほとんどが失われており砲側庫しか残ってないという状態ですのでチラッと見ただけで済ませてしまいましまいました。

深山第一砲台までは旧軍道を歩きましたが、周辺は散策路として整備されておりこんな立派な看板も設置されています。手元の資料で知り得た簡単な知識しかありませんが、要塞とは『多数の砲台や観測所などの付帯施設が広い範囲にわたって設置された防御区域のことで、各砲台間が軍道などで接続され軍事集団的に強化されたもの』です。砲台は火砲・砲座・砲床・胸墻・横墻・棲息掩蔽部・砲側弾薬庫・弾薬補給庫で構成され、付帯施設には司令部・観測所・監視所・発電所・将校宿泊所・兵舎・監守衛舎・通信交通設備・厠などがあります。砲台を防御方向別に見ると、正面防御のものを砲台、背面防御のものを堡塁、両方の役割を持つハイブリッドなものは堡塁砲台と呼びます。火砲については加農砲(カノン砲)・榴弾砲・臼砲と種類があり目的によって設置されていました。カノン砲による射撃は平射といい艦艇の舷側を射貫く目的で比較的低い海岸の稜線に設置され、榴弾砲・臼砲による射撃は擲射(てきしゃ)や曲射といい上部から破壊する目的で比較的高所に設置されました。それぞれの射程距離は、長い方からカノン砲→榴弾砲→臼砲の順になります。


友ヶ島と同様、深山砲台跡も整備されており安全のための柵が設けられています。ここは基本的に立入禁止となっている場所が無かったように記憶しています。


階段を降りたところに1つ、左に折れると3つ、計4つの棲息掩蔽部が並んでいます。


降りてきた階段を見上げます。ちなみに同じ由良要塞でも、友ヶ島と違って観光客がほとんど居ない場所でした。友ヶ島の人気は、やはりラピ◯タとかジブ◯の影響でしょうか?それにしてもネット上の友ヶ島紹介記事のタイトルは「まるでラピュ◯みたいな島!」というものがやたら多く、ちょっと食傷気味ですよね?w


まずは1つ目の掩蔽部です。観測所付属室だったようですが、そんなに広くはありません。


こちらは3つ並んだ棲息掩蔽部。手前2つは内部で連絡しています。奥は弾薬庫だそう。


こちらの掩蔽部は先ほどの部屋に比べてだいぶ漆喰が残っていますが、何故でしょうね?あまり使われてない?そもそも現役時はどうだったのか、と思いを馳せてみますw


2つの掩蔽部は内部で他の部屋と連絡しています。こういう通路に萌えますw 個人的には◯ピュタでもジ◯リでもなく屍人や闇人の聖地なんですよねw


せっかくだから隣の部屋に移動してみます。


こちらには壁に埋まった角材が見られます。何のためのものでしょうか?


外に出ました。ここだけも楽しいです。


階段の途中で振り返ります。掩蔽部がくの字に4つ並んでいるのがわかります。


階段を登った先は第一砲座。胸墻上にあがる階段が見えます。


その向こうに第一・第二砲座間、横墻下の隧道です。地下にはまた掩蔽部が現れます。


地下の掩蔽部。煉瓦の中に突然のコンクリートですが、これも何だかわかりません。この上には通気孔があるようです。


真下から覗くと通気の穴を確認出来ましたが、外光が全く入って来てませんね。通気に気を遣うということは、ここは弾薬庫かな?


掩蔽部の外からは外光が入っているため、中に居てもそんなに暗くはないです。


外に出ました。右の壁に見える突起物は砲弾を揚げるための簡易的な昇降機跡じゃないかと思われます。揚弾井が無いのはこれのためでしょうか?


第一・第二砲座間の横墻下隧道を振り返ります。


こちらは第二砲座。砲床に道標が突き刺さっています。この上は展望台だったかな?


第二・第三砲座間の棲息掩蔽部です。


階段を降ります。暗闇好きにはたまりませんw


ただ…気をつけないと白漆喰が服についてしまうので注意が必要です。


こちらは『右翼観測所』です。


ここは全く整備されておらず、自然のままに荒れています。


観測所から奥へ。


ここは15センチ臼砲を置いていた堡塁だったようです。


ここも落ち葉だらけで自然のままです。


堡塁の砲側弾薬庫が見えます。


中を覗いたはずですが、写真は撮り忘れてしまいました。


胸墻伝いに歩いていると、掩蔽部で先ほど見つけた通気孔の真上辺りの位置に鉄蓋を発見。植物が塞いでいるため下にはほぼ光が入らない状態になってます。


第三砲座の近くにあったこの丸い遺構は左翼側観測所の跡。


第三砲座を上から確認します。砲床が片方無くなってますね。第一砲台はこのくらいで切り上げ、次に男良谷砲台を目指し散策路に戻ります。


旧軍道を下ること15分ほどで深山第三砲台(男良谷砲台)に到着。深山第三砲台には『男良谷砲台』という二つ名があるんですが、まず何と読むのかわかりませんw ネットで調べても『おとこらたに』とか『おらのたに』とか『おらだに』とかいろいろです。『男良谷』という名称は歴史的資料(下記)にも記載がありますので、昔からその名前だったようです。地名だったのかな?


第一・第二砲座間の砲側庫です。これまでのような煉瓦造りではなく、コンクリートと石を削って仕上げたように見えます。男良谷砲台には1砲座2門の2砲座があり、この砲側庫の左には第二砲座、右には第一砲座と配置されています。第一砲座から奥に続く道を辿ると海に出られる階段があるようですが今回は行ってません。それどころか時間の都合で第一砲座自体をほとんど見れませんでした。


第二砲座に並ぶ即応弾薬置場。砲床を探してみます。


砲床が確認出来ないくらいに枯れ葉で埋もれていたため見つからず。日没も迫ってきているため急ぎます。


これはどこにあったものか忘れましたが、軍の標石でしょうか?16 208 の数字が刻印されていました。


男良谷砲台のすぐ近くには海軍由良水雷隊の遺構があります。砲台の北方に海軍の魚雷発射場である深山基地があり、これはそこに行くための交通路らしいです。


隧道の内部です。この先は落盤で閉塞しているため真っ暗ですが、床面に枕木の跡が続いているのが確認出来ました。トロッコ軌道で水雷を運んでいたようです。


隧道は右カーブになっています。非常にジメジメした空間です。右側面にはジメジメが好きな生物が見えてきました。一応ボカシ入れてますw


崩落部分に到達。思い切ってフラッシュで撮影してみますと…ゲジゲジとカマドウマも居たかも。奥にはコウモリがぶら下がっていますが、念の為、虫にはボカシ入れてますw


JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110108400、第18号 男良谷水雷発射場図(防衛省防衛研究所)
アジ歴さんに200分の1縮尺の資料がありましたので拝借します。4枚に分割された画像を1つに加工したものです。見たところで素人には良くわかりませんが、こういうものが今でも埋まってるかと思うとワクワクしますね。


「第33号 由良水雷隊兵舎仮設 同発動機室及ひ電燈室仮設同士官室及ひ附属物仮設位置図」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110169500、「極秘 明治37.8年海戦史 第8部 会計経理 巻6.7.8別冊」(防衛省防衛研究所)
アジ歴さんにあった、男良谷砲台(陸軍砲座と書いてある)周辺の位置図も拝借します。


ということでこれがその由良水雷隊の発電所機関室の遺構、だと思います。


崖上まで水路のようなものが続いてますが全くワカリマセン。排水路?工業用水路?魚雷関連?


機関室を横から見たものですが、煉瓦積みと斜面の石積みが良い感じっすね。


これの第一印象は『炉』ですね。資料には由良水雷隊の兵舎、発電機室、電灯機室、士官室、付属物位置図と書いてますので、それらへ向けた発電所だったのでしょうか?国土交通省関東地方整備局のサイトにあった第三海堡「電灯所」のウェブページには『明治時代の探照灯(現在のサーチライト)は、操縦桿によって水平から俯仰、左右に手で動かしたようです。発電は機関舎にボイラー・スチームエンジンを据付け、発電機で発電し、探照灯までケーブルで通電しました。常時探照灯は地下の電灯井に格納し、有事の際には、探照灯を電灯座に載せ昇降機で引き揚げて使用していました。第三海堡では探照灯を台車に乗せたまま、照明所に運搬するために用いたと思われる軌条(レール)も確認されました。』という説明があったので、探照灯のために発電所を備えるというのは、明治期では一般的だったのでしょうかね?


『炉』の裏側です。煙突のようなものと接続しています。


煙突のようなものを上から覗いてみます。


井戸みたいw 煉瓦の円は美しいっす。


と言うわけで電灯所に向かいます。藪漕ぎをしながら海側へ向かって歩くこと数分、排水路らしき場所に出ます。更に排水路を辿って行くと、今度は大量の煉瓦。


目の前に煉瓦の坑門が現れました。探照灯格納庫と言われるものですが、排水路が直接ここに繋がっていたら中は水浸しですね。海軍では電灯座と言うんでしたっけ?


早速、隧道に突入します。


先程の崩落隧道と同じく右へカーブしていますが、先程のようなジメジメ感は無く、奥からは光が入ってきています。


10数メートルくらいでしょうか、無事に隧道を抜けることが出来ました。


外に出て振り返ると…坑門のアーチと隧道のアーチが妙な感じで重なってます。後付け?


海の匂いと海の音が凄いな、と思ったら目の前が海でしたw この場所まで探照灯格納庫から電灯座に乗せてトロッコで運搬していたのかな?と、思いを馳せてみます。


夕暮れが近くなって来たので戻ります。


枕木とレールの跡がしっかりと遺っていますね。右壁の抉れた煉瓦が気になります。


坑門の上部には扁額でもあったのか、跡が遺ってました。この隧道にはジメジメ好きな生物が全く居なかったので快適に往復出来ましたねw

(参考:友ヶ島砲台


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