北海道白糠郡白糠町、本岐炭鉱のある中庶路地区で1914(大正3)年に中庶路小中学校が開校したと言われています。炭鉱との関わりですが、この地で炭鉱の歴史が始まったのが1934(昭和9)年頃、明治鉱業が本岐炭鉱を買収し本格化したのは1941(昭和16)年です。という事は、それ以前から存在していた学校ということになります。その後1973(昭和48)年に中学部分が庶路中学校に統合。1976(昭和51)年に閉校となりました。現地に遺る校舎と体育館は、それぞれ集会所とパークゴルフ場に転用されています。
白糠町立中庶路小中学校の門柱です。草に埋もれながら傾いた状態で立っています。
門柱の裏側には、本岐山形県人会贈とのプレートがありました。ここで散歩中だった地元の方と出会い、いろいろと貴重なお話を伺うことが出来ました。『全盛期は生徒数500名で先生は27名だった。炭鉱の閉山から6~7年程で閉校になってしまい、閉校後は幼稚園として活用されていた。その幼稚園も10年程で閉園になり、現在は中庶路集会所となっている。閉園後は元校庭をパークゴルフ場として転用した。そのパークゴルフ場は手作りで、自分が作ったものだ。作った頃は近所の方の利用もあったが、今はほぼ使われなくなってしまった。校庭にはタイムカプセルが埋められているが、残念ながら場所は失念(笑)』との内容でした。かなりお詳しい方で、今にして思えば学校関係の方だったのかな?
校庭には記念像があり、中庶路小学校跡と説明しています。閉校後に卒業生が作成したものでしょうか?後ろに見える建物は集会場ですが、窓のシールなど幼稚園時代の面影を感じます。
恐らくは記念像から剥がれ落ち散らばっていたものを誰かが集め、並べて置いたのでしょう。拾い集めた方の愛情を感じます。プレートの字体も手作り感のある暖かいものでした。
記念像の裏には校歌と児童・職員名が並んだプレートが設置されており、日付は1976(昭和51)年3月14日となっていました。児童数は14名、職員数は3名だったようです。
元校庭の錆びた遊具たちは、幼稚園時代のものでしょうか?
閉園後に造られたという小さなパークゴルフ場です。
やはり地元の方からのお話は有り難いな…と思いながら学校跡を去ります。
こちらは中庶路小中学校の体育館です。
道道242号から見える建物です。※現在は解体されています
窓がたくさんあり、昔ながらの体育館という感じです。
体育館と校舎への渡り廊下があるように見えます。渡り廊下の向こうには教室が…多分もうありません。建物の途中からは酪農家の施設へと改築されているように見えます。
中庶路集会場前と体育館の間のちょっとした広場には、エゾシカの解体残滓等を回収するための設備「解体残滓等回収BOX」が設置されているため、周辺は異様な臭気が立ち込めておりました。
農機具格納庫として利用されている模様。ハトが頭上を飛び回り、床の上には糞だらけです。
当時の掲示板が並んでいます。左側には謎のメッセージが。
渡り廊下への連絡口は、かつてドアだったようなもので塞がれていました。
天井に居る大量のハトが睨みをきかせています。
ハトが怖いので帰ります。