北海道白糠郡白糠町、庶路炭鉱と本岐炭鉱間を結んでいた専用線運炭軌道の隧道と、選炭場の奥で見つけた遺構の調査記録です。明治鉱業は昭和16年に本岐坑を買収しましたが、選炭については既に営業採炭をはじめていた庶路炭鉱に設備が整っていたため、本岐で出た原炭を庶路まで運び選炭していたようです。専用線は庶路・本岐間約7kmに敷設、本岐に選炭場が設けられるまでは使われていたのではないかと思います。本岐の選炭施設は、昭和36年、石炭鉱業合理化政策への対応で本岐を分離・独立した際、もしくは昭和39年の庶路炭鉱閉山後に造られたのではないかと思います。選炭場奥の遺構については何の情報もありませんw
正確な長さはわかりませんが、短めのトンネルです。
坑門には縦横にクラックが入っており、危険な状態に見えます。庶路炭鉱は1964(昭和39)年に閉山、その後は本岐炭鉱だけが期限付きで稼働していましたが、運炭はトラックによって行われていたようですので、この隧道が使われなくなってから50年くらいでしょうか?
いつ頃に造られた隧道かはわかりませんが、天井は蒸気機関車の煤?で黒くなっています。
土砂で閉塞している部分です。土砂流入していますので、隙間に頭とカメラを突っ込んでみます。
この、ちゃんとした壁は本岐側の坑門でしょうか?擁壁っぽい石垣と、レールも見えます。頭とカメラは出れましたが、隙間は狭く体は無理のようです。
無理な体制で肩を痛めてしまったので、一旦庶路側方面へ撤退します。
隧道内には今年もニョロニョロが居ましたねw
庶路側から隧道の山を登り、本岐側坑口を上から確認します。やはり坑門と擁壁のような石垣が見えます。近づいて確認したかったのですが、雪が多いので下まで降りるのは断念しました。
選炭場までやって来ました。
庶路名物の傾いたポケットです。
選炭場を突っ切って遺構を探します。
選炭場の奥には擁壁がずーっと続いていました。
なかなかの石組みです。苔具合もいい味です。擁壁どこまで続くものなのか、その先に何があるのか、このまま辿ってみたかったのですが地形的理由で迂回します。
林道に出たところ、タイヤ痕を発見。こんなところまで入って来れるんですね。何かありますが、有刺鉄線で何かを囲っている?
足元で看板を見つけました。何かの連絡所?でしょうかね?引っ張り出してまでは確認しませんでした。
更に、こんな遺構も…何かの台座っぽい雰囲気ですが、この雪では確認出来ません。見れたところで判断もつきませんけどw
草ボウボウの中、専用線隧道の様子を見に行きます。
専用線隧道庶路側の坑口が見えるところまで来ました。隧道の上を通って本岐側坑口に行けることは確認済みでしたが、今回は別ルートを探してみます。
隧道の前にもう一つ気になっていた、選炭場の奥で見つけた遺構を確認することにします。途中、変電所の建物を見ると背丈くらいに成長した蕗に覆われていて近寄る気も失せますw
溝の中には木の梯子のようなものがあり、降りられそうですがやめておきます。
廃線跡に入りましたがすぐに行き止まりでした。ここから坑口までそんなに遠くはありませんが、藪漕ぎが面倒なのでやはり最短ルートで行くことにします。
隧道の本岐側坑口については結局何の成果も無いまま次回に持ち越しますw
そんな訳で翌年、再チャレンジです。また冬に来てしまいましたw
隧道内を確認すると、氷の世界になっています。これだけの水分が通っていることを考えるとこの隧道、もう相当危ない状態になっていることが窺えます。良い子は入らないでねw
以前見た時と同様、この部分が特に凄いです。上から氷柱、下から氷筍。特に氷の流入が多い部分ということでしょうか?危険ですね。
こうして見るとクラックが多数確認出来ますね。崩落部分の前には、門番のように氷筍がいくつも並んでいます。危ないので脱出。
未だ果たせていない本岐側坑口への到達を目指し、隧道上の山を登ってみました。前回はもっと雪があって気づかなかったのですが、コンクリート遺構をみつけました。
すぐ近くにも遺構が点在しています。まずは手前のものから覗いてみます。
これは、水道関連の施設でしょうか?
来る度に様子が変わっている変電所跡。この辺りに積んであったズタ袋が無くなってます。
一応、内部も確認します。
だいぶ落書きの色が落ち、薄くなっているようです。
変電所っぽい穴がいくつも並んでいます。ここにある物は例のマネキン頭部くらいですが、なぜか見当りませんね。
マネキン頭部は、なんと外に捨てられていました。可哀想w 昔のように肝試しとかいう時代でもないので、ハンターさんの仕業でしょうか?そう言えば、ここで出会ったハンターさんに聞いた話、ここの林道ゲートが壊されている理由は、どうやら心無い連中に壊されそのままになってるだけのようでした。昔はゲートの入口に『入山は自己責任で』と書いた看板がいくつか建っていたので、てっきり企業撤退によるゲート撤去だと思っていましたが、違っていたようです。