Googleマップの航空写真でコレを見たのがキッカケで現地を確認することにしました。調べてみると大湊警備府厚岸防備隊の本部があった場所のようです。
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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030455500(第10画像目)、昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 厚岸防備隊戦時日誌(1)(防衛省防衛研究所) |
この資料は厚岸防備隊戦時日誌というもので『昭和十九年六月十日 厚岸防備隊編成セラレ 即日 開隊本部ヲ 北海道厚岸町筑紫恋(元受信所)ニ置ク』という記述があることから、筑紫恋の元受信所に本部があったことが確認出来ます。ちなみに元受信所というのが何だったのかは知りません。上記位置図には①本部②愛勝布防空砲台③愛勝布特設見張所(丙)④床潭防空砲台⑤大黒島海面砲台⑥大黒島防備衛所⑦大黒島特設見張所(戊)⑧水警隊⑨門静送信所⑩航空基地と10箇所が記載されていますが、あまり詳しくないので多くは語れませんw
冒頭の遺構は地図①(本部)の場所から少し内陸側にある雰囲気です。
これがそのコの字型遺構です。別の資料『厚岸町埋蔵文化財包蔵地一覧』の中で「海軍大湊警備府厚岸防備隊本部跡(集落跡)」「筑紫恋弾薬庫跡遺跡」などと紹介されていたことから、この遺構はてっきり『弾薬庫』だと思っていました。ところが、です。いつも参考にさせていただいてますこちらのサイト様の見解では『戦闘指揮所的な施設か電信施設だろう。形状から弾薬庫類ではない(と思う)。』とのことで、アジ歴の別の資料も調査したうえで『防空電信室』だと結論付けていました。…納得です。わざわざコの字の弾薬庫というのがしっくりこなかったので腑に落ちました。まあ、今となっては『厚岸町埋蔵文化財包蔵地一覧』という資料が見つからないので一体何を見たんだかわかりませんw
これが全景です。コの字型になっており、換気塔が数本立っています。電信室とは通信機器を格納するための掩体、と言ったところでしょうか?それにしてもこの遺構が何故コの字型になっているのかは全く見当もつきませんw
遺構は思ったよりも埋まっておりガッカリしましたが、元々半地下だったようです。
内部への連絡口と思われる部分は少し抉れた感じになっているくらいしかわかりませんでした。今回は偵察が目的だったのでサンダル履きで来ていたためここまで。また後日。
数日後、探索仲間と再び訪問。今回はちゃんとした靴を履いて来ましたw
再訪ということで前回より入念に調べてみたところ、いろんな所にひび割れがあることを発見。
ちなみに近所で水道工事をされていたご年配の方にこの遺構について尋ねてみたところ、これは『弾薬庫』だと教えて下さいました。地元ではそう呼んでいるのかも知れません。ちなみにちなみに、全く別の方のブログでもここは弾薬庫と紹介されていましたが、真相はやはりアジ歴に記録があることから『防空電信室』なのではないでしょうか?となると『厚岸町埋蔵文化財包蔵地一覧』の「筑紫恋弾薬庫跡遺跡」はどこにあるのでしょうね?