浦幌炭鉱跡(浦幌町)2011

2011年11月20日日曜日

炭鉱

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北海道十勝郡浦幌町炭山にある浦幌炭鉱。最盛期には3,600人もの人々が暮らし、街には20店ほどの商店と学校・病院・神社・寺・警察もあったようです。その後、朝鮮戦争の休戦により急激に石炭の需要が落ち込み、未曾有の業界不況が到来。浦幌炭鉱もその余波を受け、1954(昭和29)年10月31日をもって閉山となりました。閉山後、政府による複数回の調査によって浦幌炭鉱のある留真地区全体で3000万トンの採炭が可能と確認されていたことから、1986(昭和61)年に太平洋炭鉱が露天坑を計画。道路や擁壁工事などが行われ再開を準備していたものの、1996(平成8)年になって中止(石炭政策の変遷で補助金が見込めなくなったと聞いています)。現在は遊歩道が整備され、当時のアパートなどを見ることができます。

浦幌炭鉱の歴史
浦幌炭鉱跡は地元の方の手で整備された散策コースや休憩所もあるので、炭鉱跡としては非常に訪れやすい状況にありますが、場所が十勝の山奥なので間違いなく熊が居ます。
今回は某博物館主催の石炭基礎講座バスツアーに参加し、30名弱の団体さんに混じって見学してきました。


まずバスが向かったのはここ、炭住アパートでした。すごい存在感で三棟並んでいます。


壁は溶けているかのようにボロボロになっています。


この造り・デザイン・色までも尺別に残る炭住アパートとそっくりです。やはり姉妹鉱だったからでしょうか?許可が出たので建物に近づいてみます!


炭住アパートに接近、なかなかの迫力です。周辺は木々に覆われ、自然に還ろうとしています。中には入れないので外観や窓からのものしか撮影出来ませんが、それでも参加者のみなさんは熱心にカメラを向けていました。


木々がアパートを飲み込もうとしています。


窓から中の様子の覗きます。


遺っているのは壁と柱だけですね。


二階への階段が気になるところです。ここからは徒歩で、更に奥地へと向かいます。


歩きながら炭住を撮影
栄町アパート群を後にします。このアパートがいつ頃まで使われていたのかはいろいろ調べてもわかりませんでした。炭山小・中学校が昭和32年頃から急速に衰退し始め昭和42年に閉校、ということなのでそのあたり?ここは解体されず遺ってくれたことに感謝します。


昭和53年12月竣工の橋
アパートから少し進んだところに橋があります。閉山後に竣工となってます。


橋の下を流れる川沿いに見えるのは、擁壁と橋脚跡ですかね?


みらいの森
森林ボランティアの看板ですね。


浦幌炭鉱市街地跡図
この他にもたくさんの案内板が設置されており、地元の思いが伝わってきます。


遊歩道に東屋も設置されています。


ここから更に奥地へと向かいます。


旧病院跡地
当時の浦幌町全体で14,000人、そのうち3,000人がここ炭山で暮らしていた、ということになるのかな。病院の周りには、お寺・神社・共同風呂・派出所・購買所・総合ボイラー・貯炭場・鉄橋・ハーモニカ長屋があったそうです。ハーモニカ長屋は朝鮮人宿舎とのこと。当時炭鉱で働いていた方によれば、朝鮮人について巷で言われているような扱いは無く、むしろ手厚い待遇だったとの証言もあります。


病院跡
周辺の施設を含めて残っているのはこの病院跡、柱と基礎だけです。案内板が無ければ気づくこともないでしょうか。


鉄道の橋脚跡
尺別炭山駅まで専用線が通っていました。


川の向こうには炭層が露出しているのが見えます。


尺浦隧道。親切な案内看板です。


ちょっと遠くに見えてるのがその隧道ですね。


尺浦隧道(浦幌側)昭和17年6月竣工
閉山後もこの街から人が居なくなるまで、しばらく使われていたそうです。この隧道は長さ6kmで、途中直別川を渡り尺別炭鉱まで繋がっていました。


隧道の隙間から土砂が流入している
隧道は奥行5mほどで土砂に埋もれています。入り口付近にはたくさんの落ち葉があり、カエルも居ました。


平成2年10月竣功の橋
常室川にかかる双運橋(そううんばし)です。閉山で人が居なくなり道路の接続もない場所が平成になって整備された理由は、かつて再開を検討した通産省や露天坑を計画していた太平洋炭鉱などによる一連の流れの中で、ここの道路や橋が整備されてきたようです。


通風口~「通風器室」
建物は遺っていませんが、看板はあります。と言うか、炭鉱跡なのに炭鉱らしい原炭ポケットや選炭・貯炭施設が一つも見当たらないのは時代が古い(閉山が早い)からでしょうか?もしくは尺別に運搬するので施設は必要なかったからでしょうか?


排気坑口だそうです。


もう一つの坑口。ここは冷泉が流れ出ており、辺りは硫黄の臭いでいっぱいでした。


流れ出てきた水が溜まり、冷泉になっています。見学ツアーはこれにて終了です。ツアーのサブタイトルは「繋ぐ」でした。かつての炭鉱遺産、集落の繁栄、石炭に挑んだ人々の息遣いを次世代に伝える、というテーマです。石炭は決して過去のものではなく、国内の火力発電所で今も使用されています。日本は年間1億8千万トンで世界一の石炭輸入大国なんです。世界の石炭埋蔵量は豊富にあり、大気汚染物質をほとんど出さずに発電に利用する技術も研究されています。地球温暖化や大気汚染を理由に使いたくないエネルギーとされていますが、経済性に優れているため途上国の発電では欠かせないものとなっているのが現状です。日本はこれまでたくさんの犠牲のうえで炭鉱技術を培ってきました。その技術を途上国へ「繋ぐ」ことが、日本の使命なのかも知れません。


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