北海道根室市の落石三里浜にある『落石トーチカ』、同じく根室市光洋町の『友知トーチカ』と桂木にある『桂木トーチカ』。3箇所6基のトーチカを写真でレポートします。トーチカなどの防衛陣地が築かれたのは太平洋戦争末期。戦況は序盤有利に進んでいましたが、ミッドウェー海戦での敗北以降、連合軍の反撃により徐々に劣勢となっていったため日本軍は連合軍の本土来攻を予想します。その後アッツ島の戦いに敗れアリューシャン列島を経由して千島列島から北海道に上陸するルートが現実味を帯びてきたため、『網走・根室・釧路・十勝・勇払』にトーチカなどの防御陣地を構築することが決まります。トーチカなどの防衛陣地は1944(昭和19)年夏~1945年にかけて膨大な費用と労力を使い築城されましたが、結局、連合軍に上陸されることはなく終戦を迎えました。
落石トーチカその1。構築時は崖の上に埋められていたものが、海食や地震による地すべりで落下してしまったようです。海側に天蓋、崖側が底部になっています。
すっかりバラバラになっています。左右に大きな銃眼を持つのが特徴のトーチカです。手元の資料によると連絡口はこちらの面にあり、銃眼は5角形の台座?に乗っていたようですが、現存するのは四角い筒だけです。
ここ落石三里浜は砂浜が硬く締まっているので、車での走行が可能です。落石の漁港から直線距離で3km程、往復6km、歩けば1時間コースなので車で行けるのは助かります。西側(手前)にある銃眼だけは、波に削られているのか角が取れ劣化が進んでいるようです。この銃眼の長さは5mと大きなものです。
本体開口部。大きな銃眼のワリに根本の開口部は400mm×490mmと小さいですね。
銃眼口から本体内部を覗いてみます。
崖から落ちた結果、90°~95°くらいかな?回転した状態になっているので底部が丸見えです。ここの砂浜は硬く締まっているので、飲み込まれるには相当時間がかかると思います。
こうして見ると本体の角度が結構なことに…これ以上は倒れないでと祈りつつここを離れます。
落石トーチカその2です。先程のトーチカから東に2kmくらいかな?今回が初めての訪問です。ここの地盤は固いようで、構築時のまま埋まっているようです。
銃眼だけが露出している状態。手元の資料でも全体の形状は不明となっていますが、恐らく裏側には連絡口、塹壕と続いていたと思います。
銃眼から突入します。匍匐前進で行けるところまで進んでみましたが途中で肩が痛くなりこの辺が限界。内部がどうなっているのか見たかったのですが無理でしたw
友知のトーチカは2基並んで配置されており、背中合わせに東西方向を銃眼が狙っています。一基は煙突付き(写真右)で銃眼口は東側を、もう一基は煙突無し(写真左)で銃眼口は西側を向いています。
こちらは煙突が目印の『友知トーチカその1』。何度見ても釧路市桜ヶ岡にあるパルスレーダーサイト、超短波警戒機乙と言われる遺構に設置されている『煙突オブジェ』を思い出してしまいます。なお、こちらの煙突は本物の煙突だったのかも知れません。
(参考:電波警戒陣地2013 / 電波警戒陣地2012)
手元の資料『旧日本軍本土防衛陣地遺跡現況調査報告書(北方地域研究会)』に習って、左側を『桂木トーチカその1』、右側を『桂木トーチカその2』とします。こちらも1粒で2度美味しいトーチカw
銃眼です。友知と違って木材は全然残ってませんね。
こちらの背面連絡口は幅600mmと妙に狭いのが特徴です。
通路をクランク状に進んでいきます。
当然ほぼ真っ暗ですが、このトーチカは天蓋の穴からの光で薄っすら明るいです。光がゴミのようなものを浮き上がらせます。友知にあったような立派な銃座はここにはありません。
内部から見た銃眼。ここの銃眼はちょっと小さ目かも知れません。
桂木トーチカその1の背面。現代の風力発電の風車と、77年前のトーチカとの2ショット。基本的に直方体だった友知トーチカと違い、複雑な形になっているのも桂木トーチカの特徴でしょうか。
いろいろと迂回しながら桂木トーチカその2に到達。銃眼は西~やや南西を向いています。当時は銃眼の横に壁が立っていたようですが今は半分崩れています。