北海道根室市西浜町ハッタリ海岸に位置する『根室国後間海底電信線陸揚施設』。かつて「根室半島」と「国後島」を繋いでいた、海底の通信ケーブルと陸の電線をつなぐ中継施設です。ケーブルは1900(明治33)年、郵便・通信を所管する旧逓信省により敷設されました。電信線の総延長は、択捉島まで450kmほどだったようです。北方領土に日本人が住んでいたという証拠として、大変貴重な建物です。
長年放置されてきた陸揚庫。門柱は一部崩れながらもしっかりと立っています。建物の前には漁具が入った籠などが散らばってますね。
特に意味はありませんが、陸揚庫裏の海岸にはあまり見かけない形の消波ブロックが並んでいました。
文化庁によると、この建物は1935(昭和10)年のものですので約80年前のものとなります。戦後、国後が旧ソ連に侵攻されケーブルは切断、建物は民間に払い下げられ、以降は漁具などを保管する倉庫として利用されていました。既に建物は傷みが激しく、周辺も土砂やゴミなどで荒れ放題です。
少し前までは漁具などがビッシリと詰まっており、磯の臭いもキツくてかなりの激臭だったように記憶していますが、久しぶりに訪れてみると中にあった漁具(と臭いも)がほとんど無くなっていましたので、根室市の計画は進展しているのかも知れません。本格着手はこれからというところでしょうか。
天井の様子です。なんとなく同じ根室にある落石無線電信局を連想しました。
建物は、小さいながらもドアで区切られ二部屋になっているようです。この棚は漁具庫として利用する際、後付けで設置されたものだと推測しますが、おかげで奥の部屋は身をかがめなければ行けない状況となっています。
根室市がこの土地と建物を所有者から購入したのは2013年。今後、整備されていくことになるでしょう。
この邪魔な棚も撤去されるのでしょうね。保存活動が本格化すると見られなくなってしまうかも知れないので、内部を確認しておきました。
それにしても、長年放置されていた建物が何故、今になって整備されることになったのかは不明です。
恐らくですが、根室市がこの陸揚庫を戦争遺跡として保存することは、北方領土返還への意識付けという狙いもあるのでしょうね。
根室市内にはここの他にも多くの戦跡が点在しており、その中でも電探所については貴重なヒカリゴケの植生地でもあるため管理されているようですが、他のトーチカや掩体壕・飛行場などは放置されているというのが現状です。これら全てを保存するとなると莫大な費用がかかるので、相当難しいでしょう。