北海道白糠郡白糠町中庶路にある本岐炭鉱。この炭鉱は1936年、大阪の会社が鉱区を取得し庶路本岐炭鉱株式会社庶路鉱業所と称して露頭堀りを始めます。1941年、明治鉱業が庶路炭鉱(白糠郡白糠町西庶路)で採炭を開始、同年、庶路本岐炭鉱株式会社から本岐炭鉱を買収します。1944年8月、太平洋戦争末期の国策『急速転換(九州等への配置転換)』により本岐炭鉱は休坑。
戦後、保坑措置とされた庶路炭鉱が再開し、次いで本岐炭鉱も再開、その後合併し庶路鉱業所本岐坑となります。1960年代に入り庶路炭鉱閉山の流れが加速するなか本岐炭鉱が分離、本岐鉱業所となります。1964年、庶路炭鉱の閉山が決定しましたが、本岐炭鉱は5年間の期限付きで操業。1969年、期限を迎えた本岐炭鉱が閉山となりました。
その後50年以上経過した現在でも、炭鉱跡にはホッパー・貯炭施設・選炭場などの遺構が眠っており、今回は行けませんでしたが奥地には坑口群や捲き揚げ台座、神社跡などなど見どころ満載な場所となっています。
まずは貯炭施設
今回は選炭場周辺の遺構をレポートします。まずは貯炭施設の様子。
昔の写真を見ると、選炭場→この貯炭場→トラック積込所とベルコンのラインが繋がっていたように見えますが、所詮素人考えなので定かではありませんw
続いてはズリポケット
選炭施設
ズリポケットの隣には選炭施設の建物があります。
1950年頃から手選を廃止、専用線の運炭軌道にて庶路炭鉱まで原炭を輸送していたようなので、この選炭施設は庶路鉱業所から分離独立後に水力採炭を導入してから造られた工場、と聞いた事があります。
選炭施設の建物は柱が多く、複雑な造りになっています。
原炭ポケット
連続ホッパーの下にはベルトコンベアが設置されていたようです。
水力採炭導入後も使われていたものかは不明です。
足元には錆びた一斗缶が転がっています。調合ペイント、日本ペイントと読めます。
一旦外に出て側面を確認。



































