根室の戦争遺跡(根室市)

2012年10月21日日曜日

トーチカ 軍事遺構(北海道)

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北海道根室市にある落石・東和田・桂木・友知のトーチカ、ヒカリゴケの電探所、牧の内飛行場の掩体壕など、根室半島には1944(昭和19)年から1945(昭和20)年にかけて構築されたトーチカなどの防衛陣地が戦後撤去されることなく放置されています。ざっくりとした背景ですが『1941(昭和16)年に勃発した太平洋戦争は次第に戦局が悪化、1943(昭和18)年にはアリューシャン列島が米軍に奪い返されたことから千島列島や北海道へ米軍が侵攻してくる恐れが高まったため大本営は本土防衛作戦を発令、米軍の本土上陸に備え北海道の各所に防衛陣地を構築した』ということのようです。記事内の遺構については1999年根室市博物館開設準備室蔵書、北方地域研究会の資料を参考にしています。

落石トーチカ1


根室市落石の三里浜にあるトーチカ。構築当初は埋設されていましたが、海岸線の浸食や地震などの影響で露出し、砂浜まで落ちて来ました。ちなみにここの砂浜は、地形の影響で地盤が締まっており、車で走行することも出来ます。



落下の影響で銃眼部が分離しています。



通気口と思われる穴が見られます。元々上面だった部分でしょう。



崖側に残っているものがトーチカの底面だったものでしょうか。このトーチカは両方向に銃眼があるタイプのようです。


銃眼口その1

元々の位置がわからないのですが、恐らく東の方向を狙っていたものでしょうか。長さは3.8mです。



こちらは西の方向を狙っていたと思われます。


銃眼口その2

こちらの銃眼は長さ5.0m、東側よりも長い設計になっているようです。



トーチカ内部の様子。左の板張りが本来の上面だと思います。この穴は銃眼の接続部でしょうか。



崖に登ってトーチカを確認。見えているのは底面と思われます。



左側に内部連絡口があったようですが、こうなってしまってはもうわかりませんね。

東和田トーチカ


内陸部にあるトーチカ。牧草地の一角にありました。



牧草部分を踏まないよう近づきます。やけに低い入口です。



トーチカの内部ですが、物置として使っているような感じでビニールシートと古そうな瓶が数本ありました。銃眼は花咲港方面を向いています。



道道142号、根室浜中釧路線沿いにあります。牧草地だったのであまりウロウロ出来ず、外からの銃眼の様子は確認してません。

桂木トーチカ1


桂木のトーチカは2基並んで設置されており、その間隔は27.0mです。



背面連絡口ですが、少し凝った造りの入口になっています。



手元の資料によると、構築時は砂丘に埋まっていたとのことです。



横面には通気口が確認出来ます。王蟲のような形状です。



クランク状の連絡通路の先には銃眼があります。体制が悪かったので酷い写真にw



板は剥がれたものでしょうか?おもちゃのタイヤが転がっています。



銃眼は東の方向を狙っています。

桂木トーチカ2


桂木にあるもう1基のトーチカ。今となっては草原の中に見えますが、位置的には海岸線からおよそ200mくらいにあります。



こちらは庇のようなものが付いています。同じような場所に並んで2基あるにも関わらず、随分形状が違います。



足元にはコンクリート壁が横たわっていますが、剥がれ落ちたものなのか土台の浮き上がりなのかはわかりません。



上部の様子。通気口ともう1基のトーチカが見えます。無数の貝殻はカラスによる爆撃でしょう。通気口の真下を見ると貝殻が溜まってることが多いのはこのためですね。



こちらの内部は左右に分かれていて、左側が弾薬置き場、右側に銃眼があります。



銃眼は西の方向を狙っています。



錆のようなものが見えます。このトーチカには鉄が使われていたのでしょうか?

友知トーチカ1・2


友知のトーチカも桂木トーチカ同様、2基並んで設置されています。間隔は18.80m。



こちら側のトーチカには煙突のようなオブジェがついています。



後部連絡口は背中合わせになっており、銃眼はそれぞれ東側・西側を狙っています。



銃眼口ですが、どちらのトーチカのものだったのか不明です。



内部には立派な銃座が備わっています。



銃眼から外を覗いた様子ですが、枯れ草でよく見えませんw



こちら側にも銃座がありますが、どっちのトーチカ内部だったのかは今となってはわかりませんねw



外壁のオレンジが何なのか気になるところです。

ヒキウス沼電探所壕


海軍の送信所として使用されていた地下壕で、カマボコ型の施設が南北に2棟とそれを繋ぐ連絡通路があったようです。ここは絶滅危惧種である『ヒカリゴケ』の生息地であるため、見学には許可が必要となっています。



こちらは北側の施設。許可を貰って来たは良いけれど、頑丈に閉鎖されています。元々は密閉されていたようで、ヒカリゴケの通気性を保ち消失を防ぐ目的で再工事を行いパイプが設置された模様です。パイプのお陰で隙間から内部を見ることが出来ました。



地下壕には土砂が流入していますが、そこにヒカリゴケが生息していました。



中央のエメラルドグリーン、環境省のレッドデータリスト『絶滅危惧1類』のヒカリゴケです。羅臼にしか生息していないと思ってました。



こちらは南側の施設です。使用されていたのはこちら側のみで、北側を使用する前に終戦を迎えたようです。手元の資料によると『当時この施設の付近にアンテナが3本立っており、海軍の兵隊2名が常駐していた』『根室空襲の際には爆撃目標とされた』とのこと。



中にあるものが気になったのでトリミングしてみましたが、ビニールのようなものが多いので当時のものとは関係ないのかも知れません。訪問時点で終戦から67年が経過していますので、いろいろな事があったのでしょう。

牧の内飛行場


海軍の牧の内飛行場。航空写真で見ると、言われてみれば滑走路だったと認識出来ますが、二度と使用できないよう米軍によって丁寧に破壊されたようです。



実際に第一滑走路へ行ってみると、単なる広場のようですw



飛行場の周辺にはこのような掩体壕が6基、その他に格納庫や発電所跡もあるようです。



掩体壕の内部。こうやって撮ると大きさがわかりにくいのが残念ですw



離農した農家もある中現役の農家もあり、迷惑にならないよう遠巻きに確認するのが精一杯でした。


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