北海道三笠市にかつて存在した幌内炭鉱。北海道最初の大規模炭鉱として1879(明治12)年に操業を開始し、1989(平成元)年の閉山まで110年もの歴史がある炭鉱でした。炭鉱跡は『幌内炭鉱自然公園』として整備され、選炭場のほか音羽坑・常磐坑など遺されています。また、1917(大正6)年に開削された布引坑には、コンクリート煉瓦の巻上機室やコンクリート風洞のほか火薬庫なども遺っています。
幌内炭鉱布引坑
昨年に引き続き今年も幌内炭鉱を訪問したのですが、新緑で遺構が見えづらい6月という季節になってしまいました。見通しが良くないので熊への恐怖の中探索を行います。
立坑繰込所
布引坑でまず目に飛び込んできたのはこの立坑繰込所と言われている建物です。
すぐ近くには火薬庫。当日使用分の一時保管場所のようです。
繰込所は炭鉱事務所からの人車と立坑ケージとのトロッコ乗り継ぎで坑夫が待機していた建物で、入坑前後の休憩所としても利用されたようです。
建物の横には赤い筒がいくつか落ちています。色・大きさから消化器のようにも見えますが、何だかわかりませんw
立坑捲上室
草木に覆われまくっていて建物の全貌は見えませんが、新緑の季節ならではの風景です。
閉山から20年以上経過している建物ですが、窓ガラスが一部残っています。
自然の力なのか窓枠が歪んでいます。建物内部の窓にはステンドグラス風の飾りが施されているのが見えます。
場所が場所だけにあまり荒らされている印象はありません。気軽に来れる場所じゃないので酷い落書きも見当たりません。
結構大きな建物のようですが、建物全体を覆ってくる自然の猛威によりやっぱりこの季節は見えづらくなっています。
捲上の建物周辺には、一面に敷き詰められたトタンや浴槽などいろいろな物が散らばっています。何か木造の建物でもあったのでしょう。
手回しの洗濯機でしょうか。ここで使っていたものなのか不法投棄かはわかりませんね。
捲上機室の入口です。2009年に行われた幌内布引アートプロジェクトによりステンドグラス風に飾られたものが、数年後もそのままになっています。
他の作品類は撤去されているようですが、窓に取り付けられたアクリル板は外すのが困難だったのでしょうか?結構高いところにも取り付けられていますね。プロジェクト当時の写真と見比べると、かなりの枚数を外したようです。
捲上機室は、入気立坑ケージで坑夫を昇降させる機械が設置されていた建物です。モーターを操作する装置などが置かれていたようです。
多くの機械が設置されていたようで、コンクリート台座で床面が複雑になっています。地下への階段が見えますが、半地下になっており特に何も遺ってなかったはず。
アートプロジェクトで使用したものと思われるアクリル板らしきものが、建物の隅っこに置かれていました。もしくは外れてきたものをここに集めた?
往時からの文字なのか単なる落書きなのか『注意』とあります。
床面は凹凸が激しいので、油断してると落ちます。
切れ込みのあるコンクリート台座は、滑車が乗っていたものでしょうか?幾春別炭鉱の捲上室で似たような形を見ました。
建物の扉は外れていて立てかけてあるように見えますので、倒れてきたら超危ないです。
出入口の正面には繰込所の建物が見えます。
風洞
坑内の排気に使われていた風洞で、可燃性ガスや粉塵などで汚れた坑内の空気を大気放散するためのものです。綿のようなものが多数ぶら下がっていますが、これはアートプロジェクトの名残だと思います。このモフモフもアートプロジェクトの名残だと思いますが、何故かそのままになっているんですね。
中は暗いのでカメラを床に置いて撮ってみました。
これも床置きで撮影。風洞の向こうから丸く光が入り込んでいます。
これは壁固定で、少し進んだ所から撮影。土砂が流入してます。
風洞を出ます。
火薬保管庫
川を渡ったところにある、レンガ造りの火薬保管庫です。坑内で使用するダイナマイトを保管していた倉庫のようなものが2棟確認出来ます。
1つ目の火薬庫。
ここだけ扉がしっかりと残って居ました。
2つ目の火薬保管庫。
こちら側は扉が無くなっています。木製の棚などがあったのでしょうか?扉だったものや木の残骸が散乱していました。
川の向こうとはこの簡易的な橋を渡って行き来出来たのではないかと思いますが、こうグニャグニャになってしまっては渡れそうにありません。
すぐ近くには把手付きの扉が4つ付いた、屋根付きでしっかりした金属製の何かがありました。これが何なのかは見当もつきません。
幌内変電所
大正中期に建設されたというこの変電所は、夕張清水沢発電所からの電気を変電していたそうです。平成元年の幌内炭砿閉山と同時に閉鎖されましたが、現在は三笠炭鉱の記憶再生塾 の活動拠点となっているそうです。
昨年も来てますので、見学は少しだけにします。
足元に散らばる碍子。布引坑と違って、見やすいように建物周辺の雑草などは綺麗に刈り取られています。
稼働中には絶対に近寄ることが出来ない変電施設。
金属好きにはたまりませんね。
当日は眩しいくらいの晴れ模様でした。昨年も見てるのでこのくらいで。
階段の下には『アンケートポスト』と書いてあったであろう箱が設置されていますが、去年は気が付きませんでした。
二階は相変わらず木材で封鎖されているようです。
電球が残っているのを発見しました。
この雲梯のようなものはメンテナンス作業の足場でしょうか。
幌内神社
変電所の裏手から登ったところにある幌内神社ですが、唯一残っていた手水舎がついに倒壊してしまったのを確認しました。去年は何とも無いように見えたのですが。
幌内炭鉱自然公園
幌内炭鉱常磐坑の跡地にある景観公園は、110年の歴史(1879(明治12)年~1989(平成元)年)を持つ幌内炭鉱の記憶を残そうと、平成14年から手づくりでの公園化が進められ、地元の元炭鉱マンを中心とするボランティアによって整備されてきた素晴らしい公園です。
常磐坑・音羽坑の坑口、炭鉱神社、選炭・運炭施設、シックナーなどの遺構を自由に見ることが出来ますが、もちろん建物は現役当時の状態という訳ではなく、天井の無くなったものや壁が無いもの、床に穴の開いたものなどがほとんどですので、この看板にある通り所々危険な箇所があります。見学の際、特に炭鉱跡に不慣れな方は充分に注意するようお願いします。
0号ベルコン原動室 |
常盤坑ベルト斜坑(副卸) |
看板によると、常盤坑の開坑は1938(昭和13)年。1952(昭和27)年には運搬系統の合理化のため、ベルト斜坑へと改修されたとのこと。養老坑・布引坑をはじめ周辺の出炭は集約して常盤坑に搬出されていたようです。副卸というのは連卸と同じ意味のようです。
坑口神社 |
本卸坑口と副卸坑口の間には坑口神社があります。
ペンキで書かれている日付は平成元年11月1日、閉山の日です。専門家じゃないのでアレですが、本卸は資材・石炭などを運搬する坑道で入気の役割も担うもの、連卸は坑夫を人車などで運ぶ坑道で排気も担っているもの、と認識しています。
初夏の元気な植物で見えづらいのですが、ヘルメットにつけるキャップランプを保管していた建物ですかね。
原炭ポケット |
原炭ポケットの脚部 |
いつ頃のコンクリートなんでしょうか、足元はまだしっかりしていますね。
重選機基礎 |
手元の資料には「ローヘッドスクリーン」とも記載されています。重選機は重液選別装置、ローヘッドスクリーンは水平振動ふるい、どちらも選炭のための設備のようですが、詳しいことはわかりませんw
二階が気になったのですが、運悪くコスプレ撮影会の真っ最中でこの建物を占拠されており断念しました。少し待ちましたがコスプレイヤーと目があって気まずいので退却w
水選機の屋上? |
もしかしたら2Fかも知れませんが、遺構の上です。
水選機の上からはシックナーと積込みポケットの台座がよく見えます。
シックナーは選炭の工程で出る排水を溜め、撹拌などにより水に含まれる微粉炭を分離・沈殿する装置で、商品として使用出来る微粉炭を排水から回収し水の浄化も同時に行う優れものの巨大装置です。
シックナー2 |
もう一つのシックナーです。
機械は既にありませんが、沈殿池の中心にあるコンクリート周辺には金属の名残りが少しありました。
シックナーの壁…だったかな?
ちょっと複雑な造りで入り組んでいます。
いろいろな機械が設置されていたのでしょう。
この辺りにも機械が設置されていたような雰囲気があります。
上から見下ろしてみましたが結構な高さ。落ちたら大変なことになりますね。
一旦降りました。
先ほどチラっと見えていたスイッチ類です。断線の跡もしっかりと残っています。