北海道白糠郡白糠町にかつて存在した庶路炭鉱は1939(昭和14)年に明治鉱業により開坑され、1961(昭和36)年に竪坑が完成しましたが効果はあまり得られないまま1964(昭和39)年に閉山となりました。閉山に追い込まれた最大の理由は、断層が多く鉱区の開発に常に追われ、坑道の維持にも難航したことにあると言われています。炭鉱跡には変電所の建物や専用線隧道、ホッパーなどの炭鉱遺産が点在しています。
庶路炭鉱の繰込所で、竪坑にはここから入って行ったそうです。今回はこの繰込所と変電所を探索します。
扉には保安管理者の許可なく立ち入りを禁ずの文字が遺っています。
内部は真っ暗です。竪坑は埋め立てられ、どこが坑口かわからなくなっているそうです。
こちら側から見ると、何かが解体された跡が見られます。断面が荒々しいです。
扇風機施設
こちらは巨大扇風機が設置してあった建物。外から見た感じ、途中が丸くなってるところが先程の遺構と似ていますね。
円形の空間には、機械や構造物などは遺されていません。
ガス抜きのようなものがあります。
鋼鉄を切断した跡が残ります。
立入禁止と書かれた場所です。
立入禁止の奥は、何だったのでしょうか?機械の操作室?手前のものは畳に見えますね。
外壁には僅かながら碍子が遺っています。
渋い字体の注意書きがありました。
変電所施設
変電所と言われる建物です。内部探索というよりDQNの落書きに気を取られましたw
入っていきなりの落書き。雄別炭鉱病院にも似たテイストの落書きがありましたが、同一人物でしょうか?
特に何か遺っているということのない建物です。
どうして人里離れた山奥にまで来てエルムなのでしょうか?エルム街ですか?
極めつけはマネキンの首です。あの棒のところに置いていたに違いありません!悪趣味な!ちなみにこの首ですが、ここの建物に来る度に毎回置き場所が変わっています。最後に見た時には屋外にありましたよw
そして数週間後。
庶路炭鉱の選炭場
ツアーの方々と一緒に、前回探しきれなかった庶路炭鉱の遺構群にやって来ました。団体行動なのでいろいろ制限はありますが、場所がわかったことは大きいです。
これは巨大!石炭積み出しポケットです。運炭は専用線で行っていました。
遠くの山にはズリが見えています。
この遺構の前には水が流れています。
ここには湧き水が溜まっており、ここから流れ出しているようです。緑色なのは坑内水を含んでいるからでしょうか?硫黄の臭いは感じませんでした。
こちら側にはたくさんの遺構が見えます。
トタンの残る建物です。
何の建物だったのかはわかりませんが、ここまで綺麗にトタンが残っているのは珍しいのではないかと思います。
その奥には庶路炭鉱の名物、傾いたポケットが見えます。
なぜか脚が無くなっているので、ホッパーが支えている状態です。
ずっと見てみたかったポケットです!今にも転がって来そうですが何年もこの状態。
その他にもは小さ目の遺構がたくさん見られます。
この遺構だけコンクリートの感じが古く、ボロボロな感じがします。年代が違うのか、余程高温に晒されていたのか。
内部にはコンクリート片が散らばっていました。
この辺りにはたくさんの設備が密集していたようです。油断すると落ちますw
先程の石炭積み出しポケットの壁です。
庶路炭鉱では小さ目の遺構が密集して見られましたが、足元は穴だらけで危険が多く、注意しないと大怪我では済みません。ここの場所や様子がわかったことは大きな収穫でした!