釧路市春採の奉安殿
釧路市春採の笹薮丘陵にある奉安殿です。近くにあるコールマインの選炭場が見えます。
この奉安殿は大正7年開校の湖畔尋常高等小学校にあったもので、昭和3年12月に設置されたようです。湖畔尋常高等小学校は現在、釧路市立湖畔小学校となっています。戦後、GHQの指令で学校から撤去となり、ここ旧春採神社付近の公園敷地内に移設しました。太平洋炭礦の閉山までは春採神社が管理していたようですが、閉山後は春採神社も無くなってしまい、現在は朽ちるに任せているようです。
仕方がないので錆びた扉の隙間から中を覗いてみると、木片と金網フェンスのようなものが見えました。
今度は扉の隙間から中を確認します。側面にあった通気口が見えましたが、壁には無数の落書きとも思われる引っかき傷がつけられていました。
太平洋炭礦資料館内に春採神社に関するものが展示してありましたので、中にあった御真影などは恐らく太平洋炭礦で保管していると思います。多分。
木製の屋根が朽ち、落ちてしまうのはもう時間の問題でしょう。戦争遺跡を教育委員会などで管理するケースは多く見られますが、釧路市は無関心のようで放置されています。
釧路市鳥取の奉安殿
続いては釧路市の鳥取神社内にある奉安殿です。ネットでざっくり調べたところ鳥取小学校への設置は明治39年12月10日でした。神社内に奉安殿があるのはよくある話だと思いますが、どんな経緯でここに移設されたのかを神社の方に尋ねみたところ『奉安殿は知らないしここには無い』との回答でした。この記事をご覧になっているみなさんにはお馴染みであろう『奉安殿』ですが、戦時中に小学生だった年代の方々は知っていても、若い世代の方はほとんど知らないのでしょうね。
これも奉安殿だとは思うのですが、レンガ製だし立派過ぎるし注連縄してるし、神社の人に聞いても知らないと言うし、自信が無くなってきました。じゃあこの建物は何?と思ってネットでざっくり調べたところ、釧路負の遺産を守る会の新聞記事を発見しましたよ。安心して下さい、奉安殿ですw
鶴居村茂雪裡の奉安殿
春採よりはマシですが、近くで見ると思ったより屋根が傷んでいます。
笹薮に気を取られて気が付きませんでしたが、扉の片側が無くなっています。
奉安殿の中を見るのは初めてですが…と、中を覗いてみると写真のお方と目が合ってビックリしましたw
そして足元には激しく損壊した賞状が落ちていました。茂雪裡第三実行組合、乳牛の増殖などと書かれているところをみると、恐らく農業関係の賞状でしょう。奉安殿に保管していたのでしょうか。ということは、ここは神社ではなく農家だった可能性があります。近所の方に聞いたら何かわかるかも知れません。