戦前戦中にかけ全国各地の学校で天皇・皇后の写真と教育勅語を収めた建物、『奉安殿』。
戦時中の小学校では軍国主義教育が行われる中、教育勅語と御真影を保管するために全国の小学校に奉安殿が設置されました。教育勅語とは、明治天皇の発した基本教育方針のことで公式には教育ニ関スル勅語とされます。
奉安殿が活性化した年代は昭和10年頃ですが、終戦後になりGHQの神道指令のため廃止となりました。
ところが、中央からの司令は小学校からの『撤去』ということだったため解体は免れ、敷地外へ移設される形で現在でも全国各地に残っているようです。
釧路市春採の奉安殿
釧路市春採、笹薮丘陵にある奉安殿です。
近くにあるコールマインの選炭場が見えます。
この奉安殿は大正7年開校の湖畔尋常高等小学校にあったもので、昭和3年12月に設置されたようです。
湖畔尋常高等小学校は現在、釧路市立湖畔小学校となっています。
戦後、GHQの指令で学校から撤去となり、ここ旧春採神社付近の公園敷地内に移設しました。
太平洋炭礦の閉山までは春採神社が管理していたようですが、閉山後は春採神社も無くなってしまい、現在は朽ちるに任せているようです。
中がどうなっているかが気になりましたが、錆びた扉を開けることで破損に繋がる恐れもありますので、開けるのはやめておきます。
これはやはり子供のイタズラでしょうかね?
側面にあった通気口が見えますが、壁には無数の落書きとも思われる引っかき傷がつけられていました。
いつの時代の子供かは知りませんが。
こちらは阿寒郡鶴居村茂雪裡にある奉安殿です。
太平洋炭礦資料館内には春採神社に関するものが展示してありましたので、中にあった御真影などは恐らく太平洋炭礦で保管していると思います。多分ですが。
木製の屋根が朽ち、落ちてしまうのはもう時間の問題でしょう。
戦争遺跡を教育委員会などで管理するケースは多く見られますが、釧路市はトーチカなどにも無関心のようで完全放置されています。
釧路市鳥取の奉安殿
続いては釧路市の鳥取神社内にある奉安殿です。
ネットでざっくり調べたところ鳥取小学校への設置は明治39年12月10日でした。
神社内に奉安殿があるのはよくある話だと思いますが、どんな経緯でここに移設されたのかを神社の方に尋ねみたところ『奉安殿は知らないしここには無い』との回答でした。
この記事をご覧になっているみなさんにはお馴染みであろう『奉安殿』ですが、戦時中に小学生だった年代の方々は知っていても若い世代の方はほとんど知らないのでしょうね。
レンガ製で注連縄もある奉安殿ですが、パッと見た感じこれは奉安殿だと思った(結構目立つ場所にあります)ので神社の人に聞いてみた次第ですが、上記のような回答。帰宅してから調べてみることにしました。
というわけでネットでざっくり調べた結果、釧路負の遺産を守る会の新聞記事を発見、これは奉安殿で間違いなさそうでした。
今思えば、神社の方と言ってもアルバイトの方だったのかも。
鶴居村茂雪裡の奉安殿
ネットでサクッと調べたところ、昭和49年に廃校となった下雪裡小学校に設置されていた、という情報以外見つけられませんでした。
基本的には学校敷地内から撤去されているはずなので、移設されたものだとは思います。
神棚のように飾られた、いわゆる御真影?かどうかはわかりませんが、額縁に入れられた写真のお方がこちらを見ています。
春採にあった奉安殿と似た雰囲気ですが、半壊の春採のものに比べて屋根がしっかり残っています。
奉安殿は神社に移設されるパターンが多いので、もしかしたらここに神社があったのかも知れません。
春採のものよりはマシですが、近くで見ると思ったより屋根が傷んでいます。
笹薮に気を取られて気が付きませんでしたが、扉の片側が無くなっています。
奉安殿の中を見るのは初めてですが…
と、中を覗いてみると写真のお方と目が合ってビックリしましたw
なんとなく気が引けるので写真は加工しています。
壁の通気口なんかも春採のものと同じような造りに見えます。
そして足元には激しく損壊した賞状が落ちていました。
茂雪裡第三実行組合、乳牛の増殖などと書かれているところをみると、恐らく農業関係の賞状でしょう。
奉安殿に保管していたのでしょうか。
ということは、ここは神社ではなく農家だった可能性があります。
近所の方に聞いたら何かわかるかも知れません。