愛知県田原市、渥美半島の先端に設置された『陸軍第一技術研究所伊良湖試験場』は、1901(明治34)年に大砲・弾薬の研究を行うため建設された施設です。
伊良湖岬一帯には、大正から昭和にかけて砲弾を観測するための観測所が多数設置されました。
終戦後、伊良湖試験射場は閉鎖され進駐軍が駐留、軍事施設を撤去したようです。
福江観測所
奥の方に何故か木の椅子があります。
ちょうど産卵の時期だったのか知りませんが、北海道ではあまり見かけない白黒模様の『ヤブ蚊』とか言うヤツが寄ってたかって乱暴に刺して来ます。
給水塔の梯子には、丁度良い感じで誰かが取り付けたロープがありました。
これを伝って内部を確認することも出来そうですが、蚊が激しく襲ってくるのでやめておきましたw
同行の友人は一瞬で既に20箇所ほど刺されており意気消沈ですw
本来はこの後、『小塩津観測所』に行く予定でおりましたが、似たような山の中という環境にあるようなので諦めることに。
外浜観測所へ
海辺の駐車場にレンタカーを置いて、こんな感じの階段をしばらく登ります。
眼下に広がる海岸線を横目に相当歩きました。
落ちたら大ケガしそうな場所で一枚。
振り返ると駐車場が遠くに見えます。
かなり登ってきたので疲れも出始めましたが、休まず進行。
途中『愛のココナッツメッセージ漂着記念』看板を発見しました。
これは島崎藤村の『椰子の実』関連のイベントらしく、毎年、石垣島からプレート付き椰子の実を100個投げているとか。
詳しくは田原市のサイトで。
石碑には『太平洋戦争時日本海軍による伊良湖水道機雷封鎖監視所跡 平成二年(一九九〇年)十一月吉日建之(これをたつ) 元伊勢海軍防備隊員有志』と彫られています。
太平洋戦争末期に米軍の侵攻に備えて伊良湖岬と三重県伊勢との間の伊良湖水道を機雷で封鎖するための監視所とのこと。
ここで小休止。外浜観測所はまだ先です。
藪漕ぎはまだ続きます。
この辺まで波が来るんですかね。
にしても小さい観測所ですが、他の構造物は壊れて無くなってしまったのでしょうか。
海食によるものか、土台となっているコンクリートで固めた岩も崩れつつあります。
というか、既に無くなっており足元スカスカで浮いた状態です。
これは気象塔兼観測塔で、1934(昭和9)年に造られた気象観測塔、通称、『六階建て』です。
キャベツ畑に囲まれた、のどかな道沿いで異様に目立つ建物です。
この建物は戦後進駐軍に接収され、その時に書かれたであろう英単語が壁に残っているとのことです。
壁に遺る英単語は見れませんでした。
この後、無線電信所を見学中に土地所有者の方から許可をいただくことが出来たのですが、その時には六階建てのことをすっかり忘れていて、結局2Fより上は見れず終いとなりました。
すごく勿体ないことをしましたw
こちらは気象塔兼観測塔のすぐ近くにある遺構、無線電信所です。
植物に絡まれている建物で、屋上まで外階段が続いています。
ここで作業中の方がみえられたので声をかけたところ所有者の方でした。
あっさり許可をいただけたので内部へ。
特に何もありませんが、壁には落書きがあります。
英単語も一部ありますが、どう見ても和風な落書きですw
一通り見たので、また電線に触れないよう気をつけながら外階段を降ります。
こうして見ると結構急角度ですね。
この無線電信所から六階建てを越えて県道421号を500メートルほど進んだところにある、田戸神社及び小中山児童公園に向かいます。
伊良湖試験場の門柱
田戸神社の前にある『陸軍技術本部伊良湖試験場跡』の門柱です。
門柱がは一本だけでしたが、石版が綺麗で当時の物では無いように見えますね。
門柱の向こうには、田戸神社と書かれた石柱があります。
無塗装の鳥居がズラリと並んでいる姿は圧巻ですね。
神社周辺にあるこの四角いものは『信管検査施設兼展望台』の一部です。
中を確認しておけば良かったw
立哨台
どちらも移設したものと言われていますが、元々の位置はどこだったのでしょうか?
その他の施設
公園の周辺には、庇の付いたそれっぽい建物が見えています。
ここ周辺一帯には軍の中枢施設があったようですが、先ほどの気象塔兼観測塔や無線電信所と同じく民間に払い下げられているようで、現在は個人所有となり転用、平和利用されているようです。
これは実験棟の事務所と言われている建物ですが、近づいてみたところ近所の犬に発見されたので退散w
レンタカー返却の時間が迫っているため今回の探索はこれにて終了です!