北海道のトーチカは太平洋戦争末期に築城されました。
旭川の旧日本軍第七師団が本土攻撃に備えて連合軍の上陸地点を想定。敵上陸部隊に対し、後方で待機している機動打撃部隊を送り込むまで水際陣地で拘束し時間を稼ぐために急ごしらえ的に設置したもので、未だかなりの数が残っています。
戦争の証拠として教育委員会による説明看板の設置など保存整備で手を加えている地域も多くあるなか、釧路市内のトーチカは何もせずほぼ放置されているというのが現状です。
釧路空襲に関する文献によると、釧路市内には『昭和45年8月の調査では7基が確認されている』ようです。
また『7基のトーチカは”ペトン製トーチカ”と呼ばれるものである』『熊部隊により構築した時期は昭和19年である』『海岸では湧き水のため掘り下げられず窪地に設置し、民家らしく見えるよう工夫を施した』『海面上200mまでが射程距離である』『釧路地方には砂利がないので十勝川より輸送した』など興味深い情報が載っていましたが、残念ながらその本のタイトルなどはすっかり忘れてしまいましたw
銃眼口は2ヶ所、南側の海岸線を向いています。
側面を見ると、小さい穴が確認出来ます。
大概、通気か伝声か監視のためのどれかです。
銃眼は塞がれていた跡があり、コンクリートブロックが詰め込まれています。
翌年、再訪しました
内部確認のために再訪しました。
大楽毛南トーチカの内部へ
足元はゴミだらけですが、建造から約70年となる外壁はコンクリート白華が激しく出ていたものに比べ、内部の壁は意外と綺麗に見えます。
1室に銃眼が2つ並び、2方向を狙えるようになっています。あまり見ないタイプです。
海岸線からは少し離れた場所に位置します。
他にも連携するトーチカがいくつかあったのかも知れませんが、現在はこのトーチカしか見当たりません。
阿寒川トーチカ
釧路市大楽毛、阿寒川の河川敷にあるトーチカです。住宅地のはずれにあり、周辺は畑になっているためちょっと近寄り難い場所にあります。
トーチカに近づくためとは言え、どちら様の畑なのかわからないところを勝手に横切るわけにもいかないので、河川敷を迂回して接近するしかありませんが、やはりそれも面倒なので付近の住民に声をかけてみたところ、ご案内戴けることになりました。
これで堂々と畑を通過出来ますw
トーチカ周辺にはかつて家畜が居たとのことで、現在も有刺鉄線が残っています。
正面に見えるのは阿寒川を渡るJR根室本線の鉄橋です。
阿寒川トーチカに到達
後ろの木に居るカラスが気になりますが、阿寒川トーチカと言われる遺構に到達です。
埋まっているのか壊れてしまったのかはわかりませんが、これまで見てきたものと比べると非常に小さいトーチカです。
造りも煉瓦製で古く、トーチカじゃなくて巨大な窯なのでは?と思えるほど別物です。
もしかしたらトーチカの初期型はこんな感じだったのでしょうか?
カラスが気になりますが、トーチカの背面に立って観察します。
煉瓦の積み方で、上に行くほど広くなっていく造りになっています。
貴重な煉瓦製トーチカ
煉瓦トーチカの正面。銃眼が縦に2つ並んでいます。
下の銃眼は新しくあけられたのか、切断面の色が違います。
煉瓦の積み方は、下は綺麗ですが上の方は雑な感じ。
側面です。こちらから見ても上部が雑です。
阿寒川トーチカ内部を確認
トーチカ内部です。天蓋部分にはコンクリートやいろいろな種類の木が使われ、当時、少ない物資で簡易的に急ごしらえしたことを窺わせます。
丸太の一部が焦げています。頭をぶつければ怪我してしまいそうな、ギザギザした天井です。
足元には木材やトタンが散乱してます。煉瓦の色が所々違っているのも気になります。
トーチカはコンクリート箱のイメージでしたが、これは雪合戦で言うシェルターのような感じで、だいぶ印象が違いますね。
当時の文献を調べたワケではないので、本当にトーチカなのかは疑問ですが、こういうタイプもあるのかも知れません。
演習用のものとも考えられますし。
トーチカの上部を背伸びして撮影。
近すぎて何がなんだかわからない写真になってしまいましたが、天蓋の上部も雑でした。
この写真を撮った瞬間、周辺に居たカラスたちが一斉に騒ぎ始めました。
カラス急襲!
ピンチですw
相当数のカラスたちが頭上を旋回し、警告音を発し始めました。
こちらもカメラで応戦しますw
銃眼から様子を窺う
取り敢えずトーチカに避難します。
銃眼から見えるのは先程カラスが居た木々。
その向こうには阿寒川が長閑に流れています。
しゃがんだ際、見上げると天蓋の通気口を発見しました。
しばらく隠れて様子を見ていましたが騒ぎが治まらなかったため、攻撃される前に退却します。
勇気ある撤退
そんなわけで早々に撤退。
脅しの低空飛行などもなかったので無事に帰還出来ました。
それにしても何で急に騒ぎ出したのか、謎ですw
新富士トーチカ
釧路市新富士町、民家と一体になっているトーチカです。この場所は『釧路SOE研究所』様のサイトにあった情報を参考に訪問しました。というか釧路市内のトーチカの場所は、ほとんどコチラのサイトで知りました。
大体の場所がわかったのでそれらしい路地に入ったところ、それらしいものを発見。
裏へ回ってみます。
見るからにトーチカですが…
色や質感はこれまで見てきたトーチカそのものですが、銃眼も見えないしトーチカだと知らなければ気がつかないかも知れません。
左の民家と一体になっているようです。
この家は恐らく使われてないようですが、管理している方が近所に居るという可能性もあるので地元の方を探してみましたが、今回も誰にも会えず終いでした。
トーチカ上部はコンクリートが違う感じに見えます。
棒のようなものがいくつか飛び出ているのも気になりますが、勝手に登るワケにもいかず、外観のみ確認します。
結局詳細不明でした
恐らく普通の住宅ではなく所有者が物置代わりに使っているとか、集会所として使っているとかそんな雰囲気もありますが、機会があれば中を見てみたいものです。
すずらん団地トーチカ
釧路市大楽毛、すずらん団地にあるトーチカ。訪問当時は企業の敷地内ということがわかっており、近寄ることが出来ませんでした。
遠巻きにトーチカを確認。あの色、あの形、間違いありません。
西庶路トーチカ?
2011年、新たにトーチカ発見という新聞記事を見つけました。記事によると、トーチカは白糠町西庶路の海岸から約1km離れた場所の、太平洋が望める小高い丘にあるという内容です。
『釧路「負の遺産」を守る会』により発見されたという記事で、『生い茂ったささやぶの中に、時の経過を刻み込んだコンクリートの塊が朽ち果てた姿でひっそりと残っていた』とありましたが、訪問したのは2014年。
トーチカが発見されるのは大抵工事による掘削で発見されるものなので、時既に遅しかな?
ちなみに『釧路「負の遺産」を守る会』、一般人でも良ければ入会したいのですが入会方法がわかりません。
博物館友の会の派生じゃないかと思っていますが、謎ですねw
大雑把な地図で見た場所ではこの辺り。というか元々怪しいと思っていた場所でした。
海岸から約1kmの小高い丘であることも合致していますが、既に工事が進んでしまい何も見当たりません。
トーチカ?
念のため周辺を調べてみると、コンクリートの塊が埋まっているのを発見。
果たしてこれだろうか?
掘るわけにもいかないのでこれ以上確認は出来ませんでした。
こんなコンクリートが埋まっているのも不自然だしこれだとは思いますが、埋めちゃったんですかね。
この道を登った先には、鳥居があります。
一応、近所を散歩中の方に聞き込みしてみると、この辺りには防空壕があったという話を聞けました。
それがどんな施設だったのか、もしかしてトーチカと塹壕のことだったのかは不明ですが、何らかの戦跡があったのは間違いないようです。
※前ブログのコメントで、ここの近辺にもう1基トーチカがあるとの情報を戴きましたが、所有者の許可が無いと見れないそうです
(参考:電波警戒陣地2012 / 電波警戒陣地2013 / 釧路の奉安殿)