北海道紋別郡雄武町の発展に貢献した鉱山、北隆鉱山。大正7年に発見され、大正11年には坑道を掘削し金銀鉱石を採取しています。昭和2年、久原鉱業(後の日本鉱業、ジャパンエナジー)が権利一切を譲り受け昭和3年に本格操業を開始しました。今も現地に遺る青化製錬所は、昭和10年5月に完成したようです。最盛期には従業員500名、集落には2000名の人々が暮らしていましたが、太平洋戦争の勃発により金鉱業整備令が発令し、昭和18年4月に採鉱を休止、鉱区及び施設一切を帝国鉱業開発株式会社に提供しました。昭和18年10月、北隆国民学校が廃校となり、無人の街となりました。北隆鉱山も戦後数度の調査が行われたようですが、発展には至っておりません。
北見国採掘権登録第20号 北見国紋別郡雄武村北隆鉱山 鉱区線及坑内外関係図 |
現地にあった案内板ですが、現在の地図と照らし合わせてみてもしっくり来ませんでした。この地図にある日付は1939(昭和14)年12月31日現在となっていますので、そりゃあ今とは大分変わっているでしょう。
1935(昭和10)年完成、79年前の青化製錬所を目指します。たまに硫化水素臭のする音威子府川の支流に沿って歩くこと数十分、木々の隙間から遺構がチラチラ見え始めました。
全景は諦めて遺構に近寄ります。
往時は屋根付きの上屋で覆われていたそうです。
穴の周りのコンクリートから察するに、製錬所に必要な穴は何らかの形で上から下へと繋がっていたのでしょう。
まるでお城のようにも見える製錬所の遺構です。登れるところまで登ってみます。
石垣に沿って一段一段、上を目指して歩きます。石垣は長年の苔に覆われて形がはっきり見えません。
四段目くらいだったかな?はっきりと上段の丸い穴が見えてます。
当時のものでしょうか、ボルトで固定された木材が石垣から突き出ています。
下の段へと続く穴です。所々穴があるので油断は出来ません。
下から5段目くらいだったかな?この辺りから様子が変わってきます。どんな役割のものだったかは見当もつきません。
機械が置かれていたような台座から、太いアンカーボルトが出ています。
どこに何があるのかサッパリですが、遺構を見学しながら進みます。
石垣ばかりで飽きてきたので柱のトンネルは新鮮でしたw
トンネルに入ってみます。実際何の設備なんでしょうね?壁面からは一定間隔でボルトが突き出ています。