北海道恵庭市にあった恵庭鉱山は、明治の終わりから昭和初期にかけて発見された鉱山と言われており、1930(昭和5)年には採掘していたという記録も残っているようです。1936(昭和11)年に日本鉱業などが採掘権を登録、1939(昭和14)年に青化製錬所を完成し採鉱が本格化しましたが、わずか4年後の1943(昭和18)年、太平洋戦争の開戦により物資の輸入が困難となったため、国の政策で金鉱山を閉鎖。資材・労力などのリソースを、戦争に直接必要となる銅・鉄・石炭などの自給に割り振ることを目的とした金山整備令が発令されたことで休山となりました。その後鉱業権が次々と移り鉱床の探鉱が行われていますが、再操業には至っておりません。鉱山の開発により、何も無かった山中に突如として鉱山街が形成され、休山と共に街が消え自然に還ってしまった恵庭鉱山跡では、当時の製錬所遺構と、鉱山街の外れにあったという火葬炉などを見ることが出来ます。
製錬所跡に遺るのは、山の斜面に沿って8段にわたりクラッシャーという岩を砕く機械が設置されていたコンクリート基礎と、玉石のようなものを積み上げた石垣、と言われています。鉱山の作業工程は、探鉱(鉱床の調査)→採鉱(鉱石の採掘)→選鉱(粉砕と仕分け)→製錬(金属の取出し)の4つが大まかな工程のようです。
石垣の高さは2~3mくらいでしょうか。製錬所と言われている遺構ですが、斜面に沿ってクラッシャーが設置されていたということから、選鉱所の機能も持ち合わせた製錬所だったという認識で合ってるのかな?青化製錬だけならこのような斜面に設置する必要は無いと思いますが、専門家じゃないので全く自信はありませんねw
斜面に建造し重力を利用して最上段から鉱石を落としつつ破砕、選鉱し、製錬する。そんな感じでしょうか?眼の前にあるものが何の役割だったのかは全く見当もつきませんがw
この遺構は至る所に落とし穴があるので、注意しつつ慎重に最上段を目指します。
75年経過している遺構は、柱一つとってもすごい迫力です。
もうすぐ頂上です。ここから急斜面になるので、転げ落ちないよう気を遣います。
最上段に到達しました!が、特に何も無いようです。下を見降ろしてみると、見えるのは雪ばかりw 尋常じゃないくらいに木々が生えてますので、夏場だともっと見えないかも。
満足したので下山します。これまでと様子の違う遺構は精錬所の中心部でしょうか?
変な形のせり出すコンクリートをかわしながら中心部へと進んでみました。
初めての製錬所でしたが、斜面にある巨大すぎる遺構ですので写真を撮るのが難しいです。
続いて鉱山街の外れにあったと言われる煉瓦造りの火葬場跡。完成は閉山の直前だったため一度も使用されなかったと聞きますが、真相はわかりません。
昭和に設計された火葬場は『高い煙突』が象徴らしいのですが、この昭和18年頃に造られたと言われる火葬場の煙突はとても低いです。窯の入り口と比較して高さがわかるでしょうが、途中で折れただけのようです。それにしても、一度も使用されてないハズなのに煤けていますね。