北海道十勝郡浦幌町炭山にあった浦幌炭鉱。1895(明治28)年、古河市兵衛によって発見され採掘が始まった炭鉱で、1913(大正2)年に大和鉱業が買収。1936(昭和11)年に三菱雄別炭礦鉄道に買収され、尺別炭鉱の姉妹鉱となりました。1942年、隣町の尺別まで繋がる隧道『尺浦隧道』が完成。1944年に九州への配置転換で休山となりますが、戦後の1947年に再開し戦後復興で一時繁栄しましたが、1953年の朝鮮戦争終焉による反動不況の影響で1954年に閉山となりました。
内部の様子です。ここには大量の障子が。
2Fの一室ですが、外壁はほとんど失われています。
建物の裏側です。このアパートがいつまで使用されていたのかはわかりませんが、1954年の閉山後も浦幌炭砿小学校・中学校は1967年まで閉校しておらず、炭山地区には人が住んでいたようです。
建物内部。木が飛び出ていて危ないのと、あまり荒らしたくないのでウロウロはしません。
自然に還そうと、木々が建物に襲いかかっています。
一部、倒木が乗っかっている建物も。確実にダメージを与えています。
こちらの建物は全体的に外壁が無くなりつつあります。
建物内部。これは排水管ですかね?塩ビじゃなくて金属製です。
1964年~1965年に週刊マーガレットで連載されたマンガが落ちていました。50年前!
木製の扉が立派に残っているのを発見。なんか貴重!
探せば何かしら細かいものが見つかりそうですが、ほぼ柱だけの状態になっているため当時の間取りなんかは想像し辛いです。
この階段だけ不思議に劣化が激しく、手摺のコンクリートもボロボロになっています。そしてこの茶色いのは何でしょうか?錆?樹液?
山を貫き、姉妹鉱である尺別炭鉱の選炭場付近まで繋がっているトンネルです。
坑口に遺る浦幌側の扁額。『浦』の文字が割れてしまってます。
隧道は5~6メートルほどで崩落しているようです。
橋脚が遺っています。尺別まで通っていた専用線のものと言われています。
看板には層雲橋と書いていますが、双運橋ではないかと…。この先に双運坑と太平坑があります。これは1990(平成2)年10月竣功の橋ですが、架け替えたのでしょう。1992年頃まで道路と擁壁工事、資材運搬路、沈砂池などの工事が行われた記録があります。『浦幌炭鉱』は1954年に閉山しましたが、1967年になると通産省が石炭鉱業合理化事業団に調査を委託して石炭埋蔵量の調査を行います。1975年に炭層の確認、翌年ボーリング調査が行われ、8000万トンの埋蔵量を確認します。その後1986年には『太平洋炭礦』が露天坑を計画、翌年に地鎮祭まで行われましたが政府の新石炭政策が厳しいものとなり開発が延期、1996年に計画中止となりました。