北海道の東、道東の広尾町では立岩トーチカ・楽古川トーチカ・野塚トーチカ・エツキサイトーチカを、大樹町では歴舟川トーチカを探索しました。
道東のトーチカは太平洋戦争末期、戦局が逼迫するなか旧日本軍が米軍上陸地点を予測し、1944(昭和19)年4月より道東地区の沿岸部で防衛陣地の築城を開始。
内部に軽機関銃などを備え、上陸する米軍を迎え撃つためトーチカを構築します。
道東防衛を担当した旧陸軍第七師団(通称熊部隊)の計画では当初鉄筋コンクリート製だったのですが、実際には物資不足のためほぼ鉄筋は入っておらず、強度的に不安な状態で造られたと言われています。
広尾町『立岩トーチカ』
北海道広尾郡広尾町会所前、十勝港の防波堤に挟まれる格好で存在する『立岩トーチカ』。
一見すると単なる大きな岩です。にしても不自然ですがw
この岩、下の方を良く見るとコンクリートが見えます。
岩をくり抜いてトーチカに仕立てたと言われる、変わり種のトーチカです。
岩全体にはネットがかけられており、銃眼はコンクリートで塞がれ、連絡口は防波堤に塞がれているため内部の様子は全くわかりません。
立岩トーチカ横には注意看板があり、『落石の恐れがあるため駐車禁止』と掲示されています。
なるほど、それでネットが掛けられてるんですね。
広尾町『楽古川河口トーチカ』
次に向かったのは同じく広尾町、ラッコベツと野塚の境目くらいにある『楽古川河口トーチカ』です。
このトーチカは、広尾シーサイドパークキャンプ場の崖下に埋もれています。
崖を少しばかり登ると銃眼を見ることが出来ます。
跳弾返しの見事な段々がたくさんついていますね。
広尾町『野塚海岸トーチカ』はスルー
広尾シーサイドパークの駐車場には『←トーチカ』の看板がありますが、方向的には野塚海岸トーチカでしょうか?
今回はスルーしました。
広尾町『野塚防霧林トーチカ』
こちらは同じく広尾町の野塚、少し内陸部に位置する『野塚防霧林トーチカ』です。
看板が建てられ遊歩道などが整備されている、比較的大事にされているトーチカです。
トーチカの前には立派な看板が設置されています。
動物の侵入防止で柵が設置されています。
こちらは後部連絡口ですが、人間の侵入防止で柵が設置されていますw
金網越しに内部を窺います。
銃眼①の様子。
野塚海岸トーチカとは500mほど離れた場所ですが、単なる岩にしては不自然な形です。
正解はわかりませんが『野塚海岸トーチカⅡ』、そう名付けたよw
広尾町『エツキサイ南トーチカ①』
次も同じ広尾町、野塚海岸を北上し野塚川を渡った更に北、エツキサイの南にある海岸のトーチカ、『エツキサイ南トーチカ①』にやって来ました。
トーチカ近づくな!危険!!の看板があります。
決してトーチカが危険というワケではなくw、崖から落ちそうになっていたので設置した看板でしたが、もう既に落ちてしまっています。
あの窪んでいるところにあったトーチカが落ちています。わかりやすいw
どうやら滑り落ちながらひっくり返ってしまったようで、天地逆になってます。
板で塞いだ跡が見えますが、板は既に無くなっています。
トーチカの向こうにもう一つトーチカが見えますね。
これは銃眼口でしょうか。
板にモルタルコーキング?で塞がれていますが、そうまでして塞ぐ理由は動物の侵入防止でしょうか?
それにしても大きい銃眼です。落石トーチカに次ぐ大きさでしょうか。
トーチカの下に、砂浜には似つかわしくない茶色のものが見えてます。
崖上にあった頃の名残りでしょうが、滑り落ちながら土を引きずってきたようです。
広尾町『エツキサイ南トーチカ②』
銃眼口?換気口?から木が出ていますが、なんとなくキモチワルイw
こちらも天地逆さまになっているようです。板で塞いだ跡のようなものもありますね。
広尾町『エツキサイ北トーチカ⑤』
豊似川を渡って北上すると、トーチカが並んでいるのが見えてきます。
手前が『エツキサイ北トーチカ⑤』です。
もういつ落ちてきてもおかしくない状態です。
まるで宙に浮くトーチカが2連発で見られます。
横顔です。
③のトーチカよりも飛び出してる印象で、今にも落ちてしまいそうです。
広尾町『エツキサイ北トーチカ①』(遠景)
遠く離れたところに見えるのは『エツキサイ北トーチカ①』かな?遠いので行ってませんw
大樹町『歴舟川河口トーチカ②』
一気に大樹町、歴舟川河口に並ぶトーチカ。これは『歴舟川河口トーチカ②』。
獣道のような塹壕が続いて近づけそうでしたが、ハマナスが痛いのでやめましたw
大樹町『歴舟川河口トーチカ③』
続いて『歴舟川河口トーチカ③』ですが、草が激しくて良く見えません。
なお、トーチカの名称や番号は手元の本や『要塞探訪』様のサイトなどを参考にしています。※しばらく見れなかったのですが復活したようです!!
このような道路沿いにあります。