神奈川県横須賀市の無人島、猿島です。軍事施設としての利用は1847(弘化4)年、江戸幕府の台場構築にはじまり、1884(明治17)年には猿島砲台が完成。その後、昭和16年には海軍が防衛設備として高射砲を設置、実戦で使用していました。戦後は米海軍に一部を接収されたり返還されたり海水浴場が出来たり閉鎖されて立入禁止の無人島になったり散策路を整備して一般開放されたりと目まぐるしい歴史を辿ってきましたw
この先はトンネルが続きます。有名なフランス(フランドル)積みのレンガ建造物とのことです。緑色の壁は、苔かな?
トンネルを抜けました。ここから先が第一砲台です。トンネルを抜けるとまたトンネルですが、これは通路に改変された砲側弾薬庫だそうです。トンネルの左にオレンジ色のもので封鎖されたものは点燈窓の管理通路だそうです。
弾薬庫の上には揚弾井が見えます。
これが揚弾井の開口部ですが、初めて見ました。クレーンなどを使用し井戸みたいな働きで階下の砲弾を揚げるものだそうです。
改変された砲側弾薬庫の通路を振り返ります。右側の点燈窓は板張りされてます。左側のアーチが揚弾井です。
砲座跡へと向かう切通です。
昭和時代に高射砲を設置していたという砲座跡1つ目。ボルトは見当たりませんが、砲台の代わりに木があります。
これも砲座の跡ですね。2つ目。
3つ目です。アンカーボルトがクッキリ。高射砲は終戦まで防衛施設として実戦使用されていたようです。
4つ目の砲座跡。全部で5箇所あるうち1箇所だけ遠いので見てませんw 左奥の階段を降りると『東の広場』へ出ます。
広場にあった『台場跡』説明板。周辺にも何かの遺構があったような気がしますが、よくわからないものばかりでした。
これは何でしょうか。江戸末期時代のものかどうかはわかりませんが、コンクリート台座です。
説明看板が無いので何だかわかりません。
ずっと置くまで石垣が続いています。
最後は『展望台広場』です。これは対空監視哨という軍事遺構のようです。
中に入りました。観測所?
あの台に登ってみたかったのですが、立入禁止と書いてロープが巻かれていたので諦めました。
一通り探索を終え、一服しながら帰りのフェリーを待ちます。親切に最終便に乗り遅れた場合の措置が書いてありますね。別途料金で迎えにくてくれるようですが、いくら取られるのか気になりますw
以上、また来たいです。See you next time!
(観音崎砲台編へ続く)