東京湾要塞【猿島砲台】

2014年10月20日月曜日

軍事遺構(関東)

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神奈川県横須賀市の無人島、猿島です。

軍事施設としての利用は1847(弘化4)年、江戸幕府の台場構築にはじまり、1884(明治17)年には猿島砲台が完成。完成当初は3つの砲台が設けられることになっていましたが、1890(明治23)年に計画を変更し、2砲台の体制となったようです。

結果、猿島には第一砲台に二十七糎加農砲2門、第二砲台に二十四糎加農砲4門などが備砲されました。その後、昭和16年には海軍が防衛設備として高射砲を設置、実戦で使用していました。

戦後は…米海軍に一部を接収されたり返還されたり、海水浴場が出来たり、閉鎖されて立入禁止の無人島になったり、散策路を整備して一般開放されたり、と、目まぐるしい歴史を辿ってきたようです。

午前中は観音崎砲台を見学し、午後から猿島というお腹一杯のスケジュールで挑みますw

フェリーで猿島へ

横須賀の三笠桟橋から記念艦三笠を横目にフェリーへ乗り込みます。

三笠ターミナルの便でしたが、往復2,000円というのは良心的かな。


出航!


乗船時間は約10分。猿島が見えてきました。

近いです。あっさり着きますw


まずは電燈所

まずは明治28年建造の電燈所。現役のようです。

建物自体の見た目は普通ですが、レンガの煙突は素敵。


入口から覗くと、レンガの構造物が見えました。

サーチライト用の電力を作っていたとも言われています。


近くには謎の機械が設置されていますが、説明が見当たりません。何でしょう?


島内の探索をスタート!

ここから猿島探索を開始。

散策路を道なりに進みます。


素掘りの切り通しを歩くと、正面にレンガの壁が見えてきました。


猿島要塞配置図

こちらが現地の看板地図になります。


猿島第二砲台を通過

塁道沿いに第二砲台の掩蔽部が現れます。地図では『兵舎1』の建物。

施錠された鉄の扉があるので中には入れません。


掩蔽部の左上には兵舎の小窓があります。銃眼とも言われています。


これは厠跡とのこと。


砲側弾薬庫

厠の向かいにあった砲側庫内部を覗いてみます。地図では『弾薬庫1』。


もう一つの掩蔽部は雑な感じ

更に進むと『兵舎2』となっている掩蔽部が現れますが、雑な板で塞がれています。


隙間から内部を撮影しましたが、特に何も無いですね。

煉瓦の上に施工したモルタルが剥がれ落ちています。


第二砲台の一番奥まで来ました。第二砲台の砲座は見ることが出来ないようです。

で、この施設、どうやら厠跡と言われているもののようです。

片方は塞がれ、もう片方は鉄扉で施錠されているので内部は窺えませんが、こんな立派なのに便所?と疑問が湧いてきますねw


煉瓦のトンネル

この先はトンネルが続きます。

有名なフランス(フランドル)積みのレンガ建造物とのことです。

緑色の壁は、苔かな?


美しい煉瓦造りのトンネル内にアーチの入口がいくつも並んでいるのが見えます。

整備したような感じの床に、蛍光灯も設置されています。


入口の向こうには二階と西側斜面へ上がる階段が見えますが、残念ながら開放されてないようです。


すぐ隣には図面付きの説明看板があります。


トンネル出口に近づくにつれ、少し下り坂になっています。


猿島第一砲台

トンネルを抜けました。ここから先が第一砲台です。

トンネルを抜けるとまたトンネルですが、これは通路に改変された砲側弾薬庫だそうです。

トンネルの左にあるオレンジ色の板?で封鎖された部分ですが、これは点燈窓の管理通路だったようです。


弾薬庫の上には揚弾口が見えます。


砲座に出られる階段でしょうか?すっかり苔むしています。

特に立入禁止の表示などはありませんでしたが、階段にロープが張られていました。


この辺りには掩蔽部もありましたが、すっかり塞がれています。


砲側弾薬庫の上にあった揚弾口を確認するため崖を登ります。


揚弾井の開口部を確認

これが揚弾口ですが、初めて見ました。

クレーンなどを使用し井戸みたいな働きで階下の砲弾を揚げるものです。


改変された砲側弾薬庫の通路を振り返ります。

右側の点燈窓は板張りされています。

点燈窓にはガラスが張ってあり、ランプで明かりを取っていたようです。

左側の小さなアーチが揚弾井です。


砲座跡へと向かう切通です。


高射砲砲座(昭和時代)

昭和時代に高射砲を設置していたという砲座跡1つ目。

ボルトは見当たりませんが、砲台の代わりに木があります。


これも砲座の跡ですね。2つ目。


3つ目です。アンカーボルトがクッキリ。

高射砲は終戦まで防衛施設として実戦使用されていたようです。


4つ目の砲座跡。全部で5箇所あるうち1箇所だけ遠いので見てませんw

左奥の階段を降りると『東の広場』へ出ます。


台場跡の看板(江戸時代)

広場にあった『台場跡』説明板。この付近は江戸末期の砲台場だったようです。

周辺にも何かの遺構があったような気がしますが、よくわからないものばかりでした。


これは何でしょうか。

江戸末期時代のものかどうかはわかりませんが、コンクリート台座です。


説明看板が無いので何だかわかりません。


上の方はこうなっています。謎遺構です。


ここの見どころはこの古そうな石垣。


ずっと置くまで石垣が続いています。


展望台広場

最後は『展望台広場』です。

これは対空監視哨という軍事遺構のようで、昭和の時代に防空指揮所として運用されていたらしいです。


中に入りました。観測所?


あの台にも登ってみたかったのですが、梯子に立入禁止と書いてロープが巻かれていたので諦めました。


探索終了

一通り探索を終え、一服しながら帰りのフェリーを待ちます。

親切に最終便に乗り遅れた場合の措置が書いてありますね。

別途料金で迎えにくてくれるようですが、いくら取られるのか気になりますw


探索は2時間もかからないほどで、あっという間に終わってしまいました。

午前中に見た観音崎砲台のほうが見どころはありましたが、ここはまた来たいです。

See you next time!


(参考:観音崎砲台編


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