観音崎砲台【東京湾要塞】

2014年10月20日月曜日

軍事遺構(関東)

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東京湾要塞は、明治政府によって帝都東京や横須賀軍港の防衛を目的に築かれた砲台群で、太平洋戦争の終了まで運用されました。東京湾周辺の神奈川県三浦半島~千葉県房総半島に砲台や海堡(海上の人工島に構築された砲台)が建設されましたが、本土決戦が回避されたため実戦に使用されることはなかったと言われています。今回は数ある砲台の中から見応えがあって行きやすいであろう観音崎砲台と猿島砲台を探索しました。

観音崎行きのバスに乗り、終点のレストハウス観音崎からほど近い場所にある桟橋跡。これは昭和の時代に築造され、弾薬や物資の海上輸送で使われていたもののようです。このコンクリート遺構はかつての軽便軌道で、弾薬を倉庫まで運んでいたと言われています。


往時はここから向こうまで桟橋が繋がり船を係留していたようですが、海水浴場をオープンするのに邪魔だったので橋を撤去したようです。


桟橋の先端にあるポールには危険 立入禁止 横須賀市と書いてますが、ここを飛び込み台にする者が居るとか。ネットでサクッと調べた情報ですがw


手元の地図によると次に近いのは三軒家砲台です。桟橋から10分ほど歩いたところ、親切な案内板を発見。


5分後、ネットで見たことのある片方のみの門柱を発見。初めての訪問で不安でしたが、どうやらこの道で合っている様子。


素掘りの切通しに差し掛かったところで、集団で散歩している園児や保育士さんたちとすれ違いました。近所の保育園の散歩コースになってるようで長閑な雰囲気。


20分ほど歩いてもなかなか三軒家砲台まで辿り着けない中で偶然見つけた階段を登ってみると、階段の先にコンクリート遺構がありました。これは見張所とのことですが、もしや砲台長位置?


見張所の遺構に近づこうとしましたが、あろうことか北海道では見たことがない女郎蜘蛛なる毒グモに行く手を阻まれます。得体の知れない蜘蛛を迂回して藪漕ぎしようにも辺りは女郎蜘蛛だらけで断念。こんなカラフルな蜘蛛があちこちにいたら怖いよ!


というわけで遊歩道(かつての軍道?)に戻ったところ、またしても門柱がありました。今度は左右揃ってます。


その先には掩蔽壕を鉄扉で塞いだものが2つ並んでいます。


もう一つの棲息掩蔽部です。後付の鉄扉は南京錠で施錠されていました。


寄り道しながら桟橋から26分で三軒家砲台・第一砲座に到着しました。


高いところから砲座を見下ろします。壁が迷彩塗装されていますね。三軒家砲台の案内看板には明治27年着工~明治29年完成の27加砲4門と12加砲2門の砲台で、昭和9年に廃止されたと書いてあります。27糎加農砲と12糎速射加農砲が設置されていたようです。


胸墻には伝声管のようなものがあります。


砲座間には砲側弾薬庫があるようですが、ここはロープが張られ立入禁止となっています。


砲側庫はコンクリートで塞がれています。


雰囲気が似ていたので第三・第四砲座と砲側庫は省略w


観測所付属室の前までやってきました。後付の鉄扉は、恐らく施錠されています。


観測所付属室の上には観測所(測遠機室)が置かれています。それはそうと、木の根がすごいことになっていてちょっと気持ち悪いですw


中心の丸いレンガは測遠機(距離を測定する装置、測距儀)の台座だそうです。それにしてもこの木の根、恐らく観測所に壁があった(のかどうかは知りませんが)時代から根を伸ばしていたに違いない。


駆け足で三軒家砲台の探索を終え、再び桟橋が見える場所に戻って来ました。次の目標は、ここから近いであろう観音崎第二砲台。


手元の地図を頼りに観音崎第二砲台を目指します。東京湾海上交通センターの近く。


5分ほど歩いて到着しましたが、結構荒れています。


砲座は何故か岩だらけの状態。


あまり手が入れられてない分、自然な雰囲気が素敵です。


すぐ近くにトンネルもありますが、それは後回しに。


北門第二砲台の説明です。先ほどの『三軒家砲台』は明治27年起工~29年竣工、ここ『第二砲台』は明治13年起工~17年竣工と更に古いもののようです。


揚弾口の隙間から掩蔽部に入れるという噂の場所を覗いてみます。確かに潜り込めそうではありますがゴミやら泥水やらが凄いのと、何よりも戻ってこれるかどうかわからないので入るのは断念。


先ほどの第二砲台付近の、地層が見える素堀りのトンネルです。天井が網で覆われていて、
落盤の危険もあるため通り抜けは禁止となっています。ここにはトンネル内の電灯スイッチがあったような記憶が。


トンネル内には掩蔽部入り口のようなものが埋め込まれていました。


第二砲台の後は第一砲台を探し歩きましたが、なかなか見つからず現在位置を見失いました。それっぽい切通を進みます。


それっぽい道ではありますが、一向に砲台が出てきません。


迷っていたら謎の遺構のある場所に出ました。これは何でしょう?この先にはまたもトンネルがあります。


このトンネルを抜け、坂を下って行くと展望園地・たたら浜に出ました。どうやら第四砲台の横を抜けるトンネルを通って来たようです。ということは先程の遺構は第四砲台の連絡通路?第四砲台は海上自衛隊の敷地内にあるので通路を塞いだのでしょうか?


たたら浜のトーチカです。砲台とは関係無いはずですが、せっかくだから見学します。


北海道でみかけるトーチカとは雰囲気が違います。


これが銃眼?これがトーチカであれば、太平洋戦争末期の築城でしょうかね?鉄格子は
動物侵入対策で後になって取り付けられたもののようです。


こういった動物が入ってしまうのでしょうか。たたら浜では何匹か見かけました。


北海道によくあるトーチカと違って、コンクリートの質が良さそうです。何となくツヤツヤしたイメージw


銃眼は海の方を向いています。上面に通気口が見えますね。


後部連絡口にも鉄格子がつけられているため、中には入れません。


内部の様子ですが、やはり農具の保管で利用されていたのでしょうか。


ついでなので南門砲台に立ち寄ります。ここは博物館や駐車場などの整備により砲座・横墻・土塁などの施設は破壊され砲台の面影はありませんが、代わりに榴弾砲の模型が展示されています。


榴弾砲の説明です。ボランティアが作った模型なんですね。ちなみにサンチというのはセンチのフランス語読みだそうです。


説明板に『今は戦争のない平和な世の中になりましたが』とありますが、海外に目を向けるとそうも言ってられませんね。


というわけでやっと観音崎第一砲台に到着しました。


これは砲座間の連絡通路です。猿島行きフェリーまであまり時間が無いため、観音崎砲台はここを最後としました。


連絡通路の壁に何か書いてあるようですが、落書きなのか当時物なのかは不明です。


連絡通路のアーチに見とれ、肝心の砲座を撮ってませんw


連絡通路のトンネル下には弾薬庫があったようですが、公園化の際に埋設されてしまったとのこと。というところでそろそろ時間切れ。他の砲台や堡塁も見たかったのですが、猿島にはどうしても行きたかったので諦めます。ここまで見てきた感じ、恐らく観音崎砲台だけでも丸一日楽しめそうでした!



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