東京都東大和市にある戦災遺構、東大和市指定文化財の旧日立航空機株式会社変電所。
1938(昭和13)年に建設された軍需工場の変電所です。
太平洋戦争末期、米軍を中心とした連合軍による本土空襲が日本のあちこちで無差別に繰り返ししつこく行われ、この変電所も機銃掃射など爆撃を何度も受けてきましたが、致命的な損傷には至らず建物本体は残りました。
戦後、工場は軍需工場から平和産業へ転換されて稼働が続き、変電所は壁に生々しい弾痕を残したままの状態で、1993(平成5)年まで工場に電気を送り続けていました。
立川変電所
玉川上水駅から歩くこと約10分。
静かな住宅街の公園にポツンと遺されています。
この変電所は、公園として整備されることが決定したことで取り壊しになる予定でしたが、地元の保存運動により解体を免れ1995年に東大和市指定文化財となりました。
終戦の年に複数回に渡って受けた、戦闘機による機銃掃射および空爆によるものだそうです。それが真実であったことを壁の弾痕が物語ります。
看板によると、平成12年8月までは稼働していた給水塔があったようです。
取り壊しの際、弾痕跡部分のみを持ち出しここに飾ったとのこと。
これがその給水塔の一部です。
生々しい弾痕が
この面が特に激しい弾痕。生々しいです。