北海道空知郡南富良野町と上川郡新得町の間にある、標高644mの狩勝峠。1966(昭和41)年までは、この狩勝峠を越えて走る根室本線の旧線、通称『狩勝線』という路線が存在していました。狩勝線は、根室本線の落合-新得間に新線が通ったため廃止となりましたが、その後は新内-新得間で廃線を利用した実験線として、1979(昭和54)年まで活用されました。現在は廃線跡の一部が整備され、狩勝ポッポの道という散策路となっています。これは2013年、落合駅から狩勝ポッポの道までの廃線跡を辿った記録です。
落合駅
北海道空知郡南富良野町字落合にある、根室本線の落合駅です。1901(明治34)年、北海道官設鉄道十勝線の駅として開業、現在は無人駅です。※2016年に発生した台風10号の被害により代行バス運行に転換され、そのまま2024年4月に廃駅となりましたホーム側の駅名表示は平仮名です。駅名が駅舎に直接ペイントされているのはあまり見かけない気もしますが、そんなこともないかな?
新得方面は国道38号と交差するためのトンネルがあります。新線はこのトンネルを通りますが、旧狩勝線はトンネルの左を抜けます。
跨線橋の内部です。結構古そうな感じですね。
跨線橋から滝川方面の眺めです。
この跨線橋は、1967(昭和42)年に設置されたものだそうです。
落合駅-狩勝信号場間
落合第二号橋梁 |
昭和31年6月のプレートが残る電柱。碍子も残っています。廃線跡にはこのような電柱がいくつかありました。
落合第13号溝橋 |
二重に見えるアーチ橋が見れました。狩勝信号場の北にあるスイッチバック路線ですかね。手前にある煉瓦の橋が本線側、奥はスイッチバック側で橋は石造りです。
川の水が冷たかったので引き返しますw 石造りのほうを撮ってなかったのが残念。
狩勝信号場
信号場跡には、新得町作成の看板が設置されています。狩勝信号場は、蒸気機関車への給水給炭施設として1907(明治40)年に開設し、周辺には駅員9家族、保線員21家族の30世帯が生活していたようです。往時の写真を見ると、ちょっとした集落を形成していたことがわかります。
信号場の付近には、いくつかのコンクリート土台があります。
コンクリート土台の上に、計器ボックスが置いてありました。このプレートを読み取ると、 単相大型計器函2B型 北海道電力規格 製造 昭和29(もしくは20)年12月 札幌農機販売株式会社 との記載がありました。ほくでんの電気メーターですね。
近くに落ちていた碍子です。『1956-7』の文字が確認出来ます。これが西暦であれば、和暦にすると昭和31年、先程見た電柱と同じ年代です。
斜面には住居跡でしょうか、煉瓦などもたくさん落ちていました。
狩勝隧道(落合側)
狩勝信号場からすぐの位置にあります。狩勝隧道は、1901(明治34)年着工、1905(明治38)年完成、全長954mのトンネルです。新得町による看板が設置されていますが、良い仕事しますね。馬蹄型の坑口を通る蒸気機関車の写真で、当時の雰囲気がわかりますね。当時の鉄道工事では、難工事により枕木の数ほど犠牲者が出たと伝えられています。そのためこのトンネルも、未だに心霊スポットとして取り上げられることがあるようです。
当時のトンネルがどんな状態になっているのか、少しだけ内部の様子を確認。天井を見ると、蒸気機関車の排煙で煤けた跡が窺えます。内壁の煉瓦が所々崩落し、壁面には苔が生え、黒・灰・緑・橙など派手な色彩を放っていました。
トンネルは緩やかにカーブしています。天井は補修した跡でしょうか?
待避所には何かが置かれています。
引き返しがてら坑道壁を確認。煉瓦が少し崩落していますね。1970年に常紋トンネルで人骨が発見されたという事件が頭をよぎります。
北海道には多くの集治監が作られていますが、鉄路に限らず道路でも強制労働による開発が行われ、やがてタコ部屋労働へと繋がり、今でも多くの犠牲者が点々と埋められているという伝説があります。これらは戦後、GHQの介入により昭和22年の労働基準法公布まで続けられてきました。で、あれば古い鉄路や道路のほとんどは心霊スポットであり、移動しているだけで心霊現象だらけということになるんですけどね…。などと考えながら、真っ暗だったトンネルを出ます。
坑口の左右にある金属は、垂れ幕関係のものでしょうか?
坑門の上部へと続く梯子も残ります。上屋へ行き来するためのものでしょうか?
覗き込んでみると、奥の方で煉瓦が崩れているのが確認出来ました。
狩勝隧道-新内隧道間
鉄道用の通信設備、通信・通話用ケーブルを繋ぐ電柱、通称『ハエタタキ』です。見た目がハエ叩きだからでしょうか?
複合ケーブルすら無かった時代(被覆なしの裸線?)、ひとつの通信拠点ごとに単線ケーブルを敷いていたらしく、技術的に束ねられなかったからこんな形状になったようです。路線の規模が大きいほど通信線が多く必要になり、電線を張るための横板が増えハエタタキも大きなものになるとか。
日常生活ではあまり見かけないものですが、狩勝隧道から新内隧道にかけて大量に見ることが出来ます。
ハエタタキを辿ると、新内隧道が見えてきます。
新内隧道(落合側)
新内隧道はの坑門は迫力があります。全長954mの狩勝隧道に対してこちらは全長124mと短いトンネルではありますが、坑門は意匠を凝らしたものとなっています。
トンネル内を覗いてみると、天井に穴が。一体何のためのものでしょうね。通気口かな?煉瓦も見えていますね。
坑門の右側。まるで門柱のようです。
こちらは左側です。狩勝隧道より見応えのある造りになっています。
新内隧道(新得側)
こちらには新得町教育委員会の案内板が設置されていましたが、新得町産業課による狩勝隧道(落合側)にあった案内板と全く同じ写真を使っているようです。せっかく新内隧道の前に設置されているのに同じ写真を使うとは。手抜き?w
馬蹄の形が良い感じです。
トンネル内部を見ると、坑口から15mほどで崩落し土砂が流入しているのが確認出来ます。
その崩落地点の手前には、ヒカリゴケが自生しています。根室のヒキウス電探所でも見ましたが、ヒカリゴケはこういう場所を好むようですね。(参考:根室の戦争遺跡)
大カーブ築堤
ここにも新得町産業課による案内板が設置されていました。
急勾配の狩勝峠を越えるため、落合から新得までは先頭で引く機関車に加え最後尾から押す機関車を連結していたそうです。当時のお話しでは、この大カーブで前後の機関車が見えたとのことです。
新内駅
新内駅は『狩勝ポッポの道』の終点ですが、周辺は鉄道公園のように整備され多くの人で賑わっていました。当時のホームとSLが展示されているようです。
新内駅の案内看板です。
脚元にもお洒落な塗装がされていますね。
狩勝ポッポの道は1979(昭和54)年まで狩勝実験線として活用された線路跡に作られたようです。歩行者・自転車・乗馬用の道路なので、車での走行は出来ないとのこと。時間が無くなってきたので駆け足でまわります。