標茶町発祥之地碑 |
標茶町発祥地碑・裏 |
標茶町郷土館 |
釧路集治監の事務所として建設されたものを移転復元させた建物のようです。詳しく書いた案内板が設置されています。
案内板の内容から雰囲気で解釈をすると『政情不安定だった明治初期、罪人の激増に悩まされていた政府は「北加伊道とか言ったっけ?あの蝦夷地。あそこでいんじゃね?遠くて帰って来れないだろうからついでに人口も増えるし一石二鳥だろ。」と考えたかどうかは不明ですが、北海道にはたくさんの集治監が置かれることになりました。結局は過酷な強制労働により命を落とすものや、刑期を終えて本州へ帰還するものがほとんどだったので人口増には繋がらなかったようですが。釧路集治監の廃止後は、陸軍省の軍馬補充部川上支部とし終戦まで活用されます。戦後は道立標茶高等学校の庁舎として新校舎が出来るまで利用され、現在は標茶町の文化財としてここに復元されました。』
案内板には塘路駅逓所の歴史の他、この建物は『独特な建築方法』の建築物であると書かれています。『変わった建築様式』を公開するため一部のみ復元したため、間取りは変わっているようです。
『変わった建築様式』というのが気になるので早速お邪魔します。6~10月の公開期間中は見学自由のようです。駅逓の看板には番屋を建てた越前さんの名前が書いてあります。ポストはダミー?駅逓所と郵便とは関わりが深いから?
建物内部はかなり暗いのですが、入ってすぐのところに電気点灯のご案内があります。
電灯オンで、明るくなりました。
『変わった建築様式』というのはコレですかね?面白い形になっています。展示されている資料には、現在の大工が見てもどうやって建てたのかわからないと書かれています。
素人なので変わった建築様式が何を指すのかわかりませんが、すごい変わった部材を梁に使用していることだけはわかります。間近で見ると迫力がありましたね。
内部には他にも大八車などの展示品などが多数あります。
他にも多数展示されています。
ちょっと囲炉裏に座ってみたかったのですが、あの梁が怖いのでやめておきましたw
展示物の他には説明パネルも多数並んでおり、見た目小ぢんまりした建物ですが意外と内容は濃いです。パネルには駅逓についての詳しい説明もありました。
要約すると『1888(明治21)年、北海道庁は「人馬継立営業規則」を定めた。交通路が整っていなかった北海道において交通の利便を目的とし、駅逓制度に基づいて官主導で設置された北海道独特の施設。旅人の宿泊や、荷物や郵便物の輸送で人馬の中つぎに利用された。道内各所には多いときで270ヶ所もあり標茶町内には14ヶ所が設置されていたが、14ヶ所のうち建物が残されているのはこの塘路駅逓所だけである。大正時代に入り、それまで使っていた「曳き舟」から焼玉エンジンを使った「動力舟」が使用されるようになると、駅逓の必要性は薄れ、昭和2年の釧網線開通が決定打となり、翌昭和3年、塘路駅逓所は廃止となる。駅逓制度自体については、当時駅逓を管轄していた内務省により昭和22年3月31日をもって廃止が決定された。標茶町内で最後まで残っていた駅逓は「阿歴内駅逓所」で、昭和21年まであったらしく、憶えている人も居るのではないか?』という内容のものが展示してあり、興味深く拝見しました。