北海道白糠郡音別町に存在した尺別炭鉱。第四次石炭政策により、雄別三山の企業ぐるみ閉山とともに1970(昭和45)年閉山。マチには4,000人もの人々が暮らしていたといいます。今回は真冬の炭住アパート、初夏の尺別炭山駅・選炭場を探索しました。
真冬の尺別炭鉱
8年振りに訪れると、真新しい看板が立てられていました。真冬の訪問は初めてです。
この建物は尺別生活館の跡で、現在は農場の物置として使用されています。扉に書かれた農場名は、10年前からありました。
尺別給油所 |
中には何も残ってないようです。
雄別の給油所よりも小さい建物です。
給油所の天井です。まだジプトンが遺ってます。
雄別の給油所でも見かけた金属のケース。ブレーカーか何かの操作盤でしょうか?
給油所を後に、丘の上の炭住アパートを目指します。
道を間違える |
途中、道を間違えて向かいの丘への登頂を果たしてしまいました。気を取り直して進みますが、見た目よりも深い雪だったので一歩進むたびに膝まで埋まり、足を抜いては埋まっての繰り返しで、心が折れそうになります。
二棟の炭鉱住宅アパート |
大幅に時間をロスしたせいで1時間も歩くことに。真冬はスノーシューが必須ですw
いろいろ崩れてきているのがわかりますね。
アパート内部は、外からでは想像つかないほど部屋数がありました。
日没はもうすぐそこ。お邪魔しました。
もう一棟のアパート。外壁が剥がれ落ち煉瓦が剥き出しになっています。
部分的にモルタルが遺ってますが白くはないですね。一部、煉瓦も崩れてきていますね。
玄関のシルエットです。僅かながらガラスが残っています。
共用階段 |
白壁のアパートは金属製の手摺りがついた階段でしたがこちらは違いますね。建物の年代も違うのでしょうか。
木製の扉がしっかりと遺っています。
またトイレ。便器は見当たりませんでした。
壁の落書きを見つけました。お子さんが暮らしていた痕跡です。
集合煙突の壁は煤けています。
というわけで、お邪魔しました!
日没後の冷え込みの中、下山します。
尺別炭鉱、初夏
最近草刈りが入ったようです。折角だからw鉄道橋歩道を通り抜けてみます。
新緑が映えます。まだ虫が少ない季節で良かった!
もう片方の人道は道路関係の資材置場になっていて通れませんでした。
尺別炭鉱跡を目指して尺別川を渡ります。道道は草刈りが行われ白線も引き直し綺麗に整備されてますが、行き止まりの道道なので交通量はほぼゼロです。道道はここから数10メートル先で舗装が途絶え、一気に荒れ出しますw
未舗装路に突入。この先はほぼ廃道と言っても良いくらいに荒れているため、徒歩での移動に切り替えます。炭鉱の遺構は山深い場所で眠っているため周辺に人家が無く、熊の恐怖に怯えながらの探索となりました。
川の向こうに見える建物は、手持ちの本によると雄別炭礦尺別鉄道尺別炭山駅の木造駅舎と記載されていますが、ここまで崩れてしまうとわかりませんね。
2003年頃の写真 |
9年前に訪問した時は建物の形がまだ残っていました。CASIOのQV-10で撮った写真です。この辺りに尺別炭山駅があったというのは他の地図にも載っていますが、あまり駅っぽい建物には見えませんね。
炭鉱遺構へ到達するには、この川を渡らなければいけません。
さっきの建物の真下です。
電球も見つけました。綺麗な状態で割れずに落ちていますね。尺別鉄道は1970年2月の炭鉱閉山後も暫くはヤマを離れる人々を輸送していましたが、1970年4月には廃止となりました。この炭山駅について、根室本線の旧尺別駅舎内に貼られていた資料によると新尺別駅-尺別炭山駅間の運行は1日1本だけだったようです。
【1965年、廃止5年前の時刻表】
07:50発 (社)尺別-八幡前-新尺別-旭町-尺別炭山 08:22着
尺別炭山駅裏手に選炭場があります。川を渡って来てるので、もし熊に出会ったら逃げ場が無いなとビクビクしながら探索します。
遺構の真下 |
山の上方にも何かの遺構、折れた隧道遺構があります。
あまり大きいものではありませんが、排水用?煙道という説もあります。
更に上方では大量に水が流れているのが見えますが、硫黄の臭いは感じません。蕗の群生を掻き分けて行かないと近づけないので断念します。
滑車 |
地面から突き出たレールと、錆びた滑車があります。
周辺を探索。これも選炭関係の遺構でしょうね。
水を流し込んでいたような雰囲気の遺構です。
太い鉄管がコンクリート遺構を貫通しています。
折れた遺構(左)との位置関係 |
断片的な古い地図しか資料が無いため自分の足で探し回りたいところですが、ここの炭鉱跡には熊が出ると事前に聞かされていたので、この日は怖くなって退散しましたw