和歌山県和歌山市の北西に浮かぶ無人島『友ヶ島』は沖ノ島・地ノ島・虎島・神島の4島を総称したものです。友ヶ島には明治22年から沖ノ島に5箇所の砲台と虎島には堡塁が造られ『由良要塞』の一部とされました。由良要塞は、明治政府が大阪湾への敵艦侵入阻止を目的に紀淡海峡防衛のため構築した要塞で、友ヶ島地区に6箇所+加太・深山地区に8箇所+由良地区に11箇所=25の砲台によって構成されます。同じく大阪湾を、淡路島を挟んだ鳴門海峡で防衛するため明治30年から4つの砲台が造られた鳴門要塞が、明治36年に由良要塞へ編入されました。
友ヶ島の岩肌が見えて来ました。島への上陸は東京湾要塞の猿島砲台以来になります。
友ヶ島に上陸。野奈浦桟橋から西の方向へ。海の家が見えてきました。ちなみに、海の家は手前の建物ではありませんw
道標があります。事前にルートを考えてはいましたが、帰りのフェリーに間に合うよう遠くて道が封鎖されている可能性もあった『虎島堡塁』は最初から諦め、5つの砲台のうちどこまで探訪出来るかが勝負です。
取り敢えず海沿いに歩き、第二砲台を目指しました。木々の隙間に見えてきました。
第二砲台の看板によると、第一・第二・第五砲台は海峡にさしかかった船を真横から砲撃することを目的としていたようです。第二砲台は戦後、米軍によって爆破され砲台右翼の第一・第二砲座は破壊、左翼第三・第四砲座は半壊の状態で残っているとのことです。
手前が第四・第三砲座間、奥が第三・第二砲座間の横墻給弾室です。
掩蔽部の通路に降りてみます。砲測庫が見えますが、ゴミで近寄り難い。
後ろを振り返ると、こちら側は大量の木で埋め尽くされていました。
先ほどの割れた煉瓦の裏側です。煉瓦の塊がゴロゴロしています。第一砲座は海に消えたのでしょうか?
かろうじて残った第二砲座の砲床にはボルトが2本だけ残っています。米軍による破壊が凄まじいのは第二砲台だけで他の砲台では破壊の感じは見られなかったのですが、何故でしょうね?海に近くて壊しやすかったから?見せしめ的なこと?壊してみたら意外と頑丈で大変だったので途中でやめた?
第二砲台付近の斜面にはトーチカのような構造物がありましたが、肝心のトーチカは何故か写真に撮ってません。その代わり近くに隧道を発見します。トーチカへの連絡坑道でしょうか?
隧道を抜けてみました。内部には特に何もありませんでした。
上から回り込んで第三砲座前より見下ろすと、換気塔のようなものが取り付けられた棲息掩蔽部が2つ並んでいました。その向こうに見えるのが先ほどの鉄柵隧道。階段は降りられそうに見えますが、何故かトラロープで封鎖してあり行けませんでした。
友ヶ島灯台はスルーして第一砲台の見どころナンバーワン、右翼観測所まで来ました。
手前にある謎の凹みにモルタル片が詰め込まれてます。これは観測所の天蓋を覆っていたものだと思いますが誰かが拾い集めたのでしょうか?カマボコの左には門扉を取り付けてあったような穴が2つ開けられています。ところでこのカマボコのような凹みって何に使用するものだったんでしょうね?
観測所内部を確認。木製の天井がなんかキレイですね。三本の支柱は観測器を設置するための台座のようです。訪問時、動物か何かの死骸が放つ異臭が充満してたので入るのは断念。
右翼観測所を上から観測します。見事な装甲掩蓋です。周辺には先ほど見たような掩蓋を覆っていたモルタル片が散らばっています。
観測窓からは観測器の台座が見えます。この掩蓋の雰囲気から、巷ではアッガ◯と言われていますw
観測所に鉄製の掩蓋が残っているのは珍しいとのことです。時間が無くて左翼側観測所は見れませんでしたが、勿体ないことをしました。
第一・第二砲座の掩蔽部通路に降ります。
第二砲台では不発でしたが、やっと塁道を歩くことが出来ました。階段に挟まれているのは砲側弾薬庫、その向こうは第三・第四砲座への隧道交通路です。
降りてきた階段のすぐ横にあったのは右翼観測所の司令室。
中は真っ暗なのでLEDライト片手に入ります。フラッシュ撮影だとキレイに写せますが、あまり好みじゃないので多少ブレたり変な色になってでも極力フラッシュは使いません。
第三・第四砲座に抜ける通路ですが、鉄柵があってこちら側からも行けなくなっています。あそこにある棲息掩蔽部で何か…例えば島で使う燃料でも保管してるんでしょうかね?そう言えばガス抜きっぽいものが取り付けられていましたが、島の秘密があるのでしょうか?w
ここにあるもう一つの砲側庫は塞がれていませんので、中を確認します。天井の意匠が素敵ですね。誰が並べたか、明り取りの窓には瓶と缶が置いてありました。
中にはいろいろありますが、当時ものとも思えないゴミだか漂流物だか投棄物。
一斗缶まであります。
鉄柵の向こう側、第三・第四砲座を望遠で撮影。何故封鎖しているのか気になります…
友ヶ島第三砲台。第二砲台から徒歩30分でした。この時点で、12時のフェリーまでは残り時間1時間半です。
広い空間になると手持ちのライトでは能力不足でした。暗い。暗かったので当時は気づきませんでしたが、天井には揚弾井が見えています。
入ってきた方向。この弾薬庫は結構広いです。誰が捨てたのか、コンビニのビニール袋が落ちています。
壁に点々と続くモルタルで埋められた部分は、弾薬を砲座まで運ぶ装置の跡でしょう。
友ヶ島第三砲台、第一砲座に出ました。先ほどの案内看板の一番右側、コウノ巣山展望台寄りに位置する砲座だと思います。砲床に水が溜まっており池のようで、良い感じに苔が生えてますね。
伝声管の穴を挟んで左右に凹みがありますね。これは『即応弾薬置場』とのことですが、良く見ると白い文字で何か書いてます。写真左側にはひらがなで「い」、右側には「ろ」。
階段右側には「は」、左側は「に」とペイントされています。ナンバーリング的なもの?
続いて第二砲座です。
再び地下2Fの弾薬庫に戻りましたが…何処の砲座間かは思い出せませんw この時点で帰りのフェリー出航まで残り一時間ちょっとなので、第四・第五砲台は完全に諦めました。
天井の揚弾井です。塞いでる板みたいなものが見えてます。
通路側には明かり置きの点灯窓が並んでいます。
いきなり地上です。相変わらずもう何処にあったものだか憶えてませんが、井戸ですかね。
5つ並んだ棲息掩蔽部へと続く斜路の塁道です。掩蔽部が見放題ですw
煉瓦の遺構は迫力があります。素晴らしいです!
4つの掩蔽部が並びます。絶景です!
早速、連続棲息掩蔽部の内部ですが、漆喰がほとんど剥がれていますね。多少光が入ってるので意外と明るいです。各掩蔽部が繋がっているのがわかります。ちなみにここはSI◯EN2の聖地なんですよねw
SIR◯N2を思い出しながら楽しく撮ってますw
時間があればしばらくここで遊んで居たいくらいでした。
ここを出ると看守衛舎へ続く隧道があります。
隧道を抜けたところです。隧道の向こうに棲息掩蔽部がチラッと見えます。掩チラですw
こちらは看守衛舎。イギリス積みレンガの外壁に瓦屋根、木造建築物の雰囲気もミックスされ何とも言えない和洋折衷な感じ。
裏を見ると、思いっきり和風の造りになっていました。カビてはいますが床も少し残ってるようです。
ここに庇か小屋根でもあったのかな?碍子もまだ残っていますね。
次は少し離れた場所にある探照灯へ向かいます。探照灯までは4~500メートルですが、道中いくつもの石柱が並んでいます。
何かの金属が巻きつけられ、木材がボルトナットで固定されているものもあります。送電関係の何かでしょうか??
探照灯跡に到着です。
1F奥側。更に奥には吹き抜けになっているスペースがあります。
二階というか屋上に到着、吹き抜けを上から確認します。
1Fからの吹き抜けです。この吹き抜けで探照灯上げ下げしてたのでしょうか?というところでフェリーの時間が近づいて来ました。友ヶ島の探索は時間切れ終了となりました。滞在4時間では全然足りませんでしたw
(深山砲台編へ続く)