太平洋戦争末期、北海道を代表する工業都市であり軍需工場のあった室蘭市は連合軍に攻撃目標とされ1945(昭和20)年7月14日と15日、米軍が行った空襲と艦砲射撃により多数の犠牲者を出しました。当時、室蘭は戦略的に重要な都市であったため、室蘭の工場群・港湾の防衛・津軽要塞(函館)の背面防御を目的に1945年から『室蘭臨時要塞』の建設を始めていましたが、完成する前に終戦を迎えました。
標高約200メートルとのことで展望台から室蘭港や室蘭の町並み、工場も見渡せます。
これは多分、新日鉄じゃないかな。稼働してますね。
さて、測量山展望台で『要塞付属観測所』の位置を確認。鉄塔の隙間から見えましたが、某国営放送局の建物敷地内を通過するわけにもいかないので一旦展望台を降ります。
敷地を緑色の柵で囲っているため雪の中を大きく迂回する羽目に。邪魔な柵ですw
そこそこ深い雪を漕いで何とか観測所まで到達しました。
ここ測量山からは室蘭の町も噴火湾も見渡せるので、ここに観測所が設置されたようです。観測所では敵の動きを監視、敵艦をいち早く発見し内陸部にある『十五糎加農砲』へ連絡するという目的の観測所だったようです。
続いて室蘭市小橋内町の住宅街に遺る『十五糎加農砲掩体』。坂の途中にあり駐車スペースも無さそうな場所のため雪でツルツル滑る坂を徒歩で登って行きます。
『十五糎加農砲掩体』は口径15センチのカノン砲を収めるためのコンクリート掩体で、山の斜面に沿って上下に2基の掩体が配置され、内浦湾(噴火湾)の方向(南から西の方向?)を狙っていたようです。現在遺っているのはこちら、斜面下側に配置された掩体だけのようです。造られたのは終戦の年、1945年。突貫工事での完成直後に米軍から攻撃を受けましたが、幌別沖(東の方向)からの攻撃だったため敵の艦砲射撃に対して成す術がなかったと言われています。
この掩体は結局一度も火を噴くことなく終戦を迎えましたが、『戦後、地主が土地を手放し、その息子がわずかに残った掩体に住んでいた。40年ほど前には別の人物の手に渡り、鉄球をたたきつけて壊そうとしたが、暑さ1メートルを超える壁はびくともしなかった。』という情報もあります。