夕張炭鉱跡(夕張市)大新坑・北上坑・新炭鉱

2015年5月16日土曜日

炭鉱(他)

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北海道夕張市にあった北炭夕張炭鉱は明治20年代に開発され、1977(昭和52)年の夕張新第二炭鉱閉山まで続いてきた炭鉱です。

閉山後、炭鉱跡地はテーマパーク『石炭の歴史村』として整備・運営されてきましたが、やがて赤字で廃止となり現在は歴史的・資料的価値の高い『夕張市石炭博物館』だけが運営を継続しています。

そんなテーマパーク『石炭の歴史村』から探索をスタート!


石炭の歴史村


夕張炭鉱跡地に出来たテーマパーク『石炭の歴史村』跡地です。

『石炭の歴史村』は、炭鉱から観光への転換を目指し夕張市が第三セクターを設立、開発が行われました。

次々と設備を増強し一時大盛況となりますが、やがてヤミ起債が発覚。

2007(平成19)年に夕張市が財政再建団体として指定され、『石炭の歴史村』も廃止となりました。


これはゴーカートのコースでしょうか?

ブレーキングポイントがわかりやすくペイントされていますね。


コース上にはトンネルもあったようです。

このテーマパークですが、炭鉱跡地ということでほとんどの遺構が解体されたなか、残されたものが園内や周辺で見られます。

と言う訳で今回は大新坑と、北上坑を探索します。


夕張炭鉱大新坑へ


テーマパーク『石炭の歴史村』から山奥に、夕張炭鉱第二砿の大新坑があります。

これは繰込所と言われている施設で、同じ第二砿の石狩坑まで人車の軌道が敷設されていたとか。

資料によると、

『1907(明治40)年に北炭夕張炭鉱で唯一の入排気目的以外の立坑として開発に着手されたが、国内不況の影響で一時中止され、1913(大正2)年に再開。その後、夕張第二砿大新坑(後に4区立坑)として、夕張炭鉱の主要坑口の1つとして、1955(昭和30)年まで使われ、現在も立坑の捲室と付属の建屋の跡が見られる』

との事です。


繰込所を見上げてみます。


建物内部です。

コンクリートの梁には金具が出ています。


壁はほとんどありません。


三角屋根だったのかな?


建物の向こうに、当時の愛車が写り込んでいます。

HONDA FIT HYBRID RS (2013年)。良いクルマでしたw


三角屋根に沿って凹凸が付けられているという、非常に凝った意匠です。

煉瓦の上に塗ったモルタルは、ほとんど剥がれ落ちています。


この辺りは煉瓦が剥き出しになっています。


繰込所の全体像です。


すぐ隣には扇風機が横たわっています。

近くには竪坑櫓があった模様。


ちらっと写っているのは捲揚機室。

ちなみに肝心の坑口は、ここでは一つも見てませんw


奥に見えるのは繰込所です。


圧巻の捲揚施設


これは竪坑捲揚機の施設です。

界隈では見た目から教会とも呼ばれています。

屋根が無くなり柱が突き出た形が教会を想起させるのでしょうか?柱一本一本の意匠も凝ったものとなっています。


壁にはどうしても目に付く『のらくろ』っぽい落書きがあります。

戦前から連載されていた漫画でリメイク版のアニメも存在していたのですが、知らない人も多いのでは?

それはそうと誰がどうして描いたのか疑問ですねw


こちらは描きかけの『デカ』でしょうか?白いので。


こちらの壁には少しだけ煉瓦が残っています。


捲揚室の内部です。基礎の合間を縫って木々が育っています。


これは柱だったものでしょうか?

入っている鉄筋でギリギリぶら下がっている感じです。


これは『キリン』。そう名付けたよw


内側から壁を見ます。

向こうにある扇風機がチラッと見えていますね。


天井が無くなっているのは、中にあった機械を運び出すためでしょうか。


夕張炭鉱第二砿の大新坑は、1907(明治40)年に開発を着手。

竪坑やこの捲揚機室が出来たのはいつ頃の事なのか不明ですが、この施設は昭和30年まで使われていたようです。

それから60年の月日が流れた、という建物でした。


夕張炭鉱北上坑の坑口へ行ってみる


石炭の歴史村まで戻って来ました。

北側駐車場から川の向こうに、北上坑の坑口が並んでいます。


資料によると、

『北炭夕張炭鉱第一砿の初期主要坑道で、1891(明治24)年に第二斜坑として開抗、1918(大正7)年に北上坑と改称された。明治末期から大正にかけ大事故が3度発生している。一時休止の後、1957(昭和32)年に志幌鉱として再開、1967年に廃止』

との事。


近くで見るために川を渡ります。


渡河・上陸に成功しました。


眼の前には坑口神社っぽい階段がありました。


ここに神社のお社があったのではないかと。


途中で夕張炭鉱千歳坑?


振り返ると夕張炭鉱の一番坑、第一砿千歳坑の坑口と思われるものが見えます。

近くに煉瓦の坑口もあったようですが、見落としました。

資料によると、

『1890(明治23)年に開鉱した夕張炭鉱で、最初に水平坑道として開削された坑口。当初の名称は一番坑であったが、1918(大正7)年に千歳坑に改称。1970(昭和45)年の閉山まで、夕張炭鉱第一砿の主要坑口として使用された』

との事です。


北上坑の坑口に到達


主要坑口を目指し、藪漕ぎして行くと坑口を発見。

藪が凄いのと半分埋もれていたのであまりよく見てませんw


更に進んでいくと、もう一つの坑口を発見。


この坑口の近くには凝った意匠の煉瓦積み構造物がありました。


主要坑口が見えて来ました。

相変わらず藪が凄いです。


藪を越え、なんとか坑口に取り付きました。


坑口内部を確認。

数メートルで密閉しています。大量の鹿のフンと、様々なゴミとも区別がつかない資材などが散乱しています。

夕張の炭鉱跡でよく見かける消火器も落ちているので当時のものだと思います。


坑口を出ます。


アーチの中央部分だけ形が違いますね。

さり気ないところにも意匠が凝らされています。


主要坑道の更に奥にも坑口が見えています。


振り返って撮影。


北上坑4つ目の坑口が見えて来ました。


それにしてもお洒落な煉瓦の積み方ですね。


この坑口はすぐに密閉され、ガス抜き管が突き出ています。


先ほど駐車場から見えていた坑口です。

もう無いだろうと思って周辺を確認したところ、坑口をもう一つ発見。


北上坑に並ぶ5つ目の坑口です。

金属扉が着いていたようですが、扉は無くなっています。


一見、焼却炉のようですが、坑口です。

雄別炭鉱の模擬訓練坑道もこういう感じの入口でした。

上部には何かがこびりついて文字のようにも見えますが、判読不能です。


内部を確認すると、土砂が流入しているものの奥へ進めそうです。

支保工が見えています。


何の装備も無かったのでこれ以上は進んでいません。

坑道の上壁からは鎖がぶら下がっていました。


坑道の上部には、通気用の煙突が出ています。

ますます雄別の模擬坑道に似ています。


更にはフックの付いた鋼材が突き出しています。


煙突の中が気になります。

見とけば良かったw


最後に夕張新炭鉱


最後は夕張市清水沢清陵町にある、北炭夕張新炭鉱の坑口です。


1975(昭和50)年に出炭を開始した北炭最後のビルド鉱でしたが、1981年にメタンガスの突出事故が発生し、多くの犠牲者を出しました。

事故を契機に翌年の1982年、夕張新炭鉱は閉山となりました。左に坑口が、中央にお堂が、右に慰霊碑への階段が見えます。


階段の先には、犠牲者93名を出したガス突出事故の慰霊碑が建立されています。


夕張新炭鉱の坑口は、空気が通るようにという遺族からの要望で、コンクリートでの密閉はされず鉄格子で閉鎖されているそうです。


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