新白糠炭鉱跡ほか記念碑巡り(白糠町)

2012年7月8日日曜日

炭鉱

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北海道白糠郡白糠町にある『新白糠炭砿創操業地記念碑』。選炭場の壁を利用した記念碑の他には炭鉱跡らしい遺構は他に見当たりません。その他、白糠町にある炭鉱関連の記念碑『北海道石炭採掘創始の地』や『庶路炭鉱発祥之地碑』を巡ります。

『新白糠炭砿創操業地記念碑』にやって来ました。シロツメクサの群生、周囲の木々に飲み込まれそうに、ひっそりと佇んでいます。


ここは新白糠炭鉱の選炭場だったようです。


選炭場の壁をそのまま利用し記念碑を埋め込んであるという、ある意味大変重厚な記念碑です。


要約すると『1947(昭和22)年、白糠村(町制が施行され白糠町となったのは1950(昭和25)年)の今野滝雄氏が三菱鉱業から鉱区使用権を得て採炭を開始。翌年、新白糠炭砿株式会社を設立、租鉱権(ざっくり調べると、鉱業法で他人の鉱区から採炭する権利のようです)を契約操業した。1964(昭和39)年、国のエネルギー事情(石炭から石油へのシフト)と水害等により閉山の止むなきに至った。当時の選炭場跡施設を活用、この碑を建てる。平成8年1月 白糠町』という内容です。

この時代、白糠町の炭鉱は次々と閉山していきました。1964(昭和39)年、同年1月に明治庶路砿が閉山、本岐砿は5年間の期限付き閉山が決定、4月には上茶路炭鉱を開坑しますが、7月、新白糠炭鉱が閉山します。1969(昭和44)年、明治鉱業本岐炭鉱が5年間の期限を迎え閉山。1970(昭和45)年、雄別炭鉱の雄別・尺別・上茶路3鉱が企業ぐるみで閉山しました。


この記念碑の前には今にも燃やせそうに木が組んでありましたが、何でしょうか?ちょっと不思議な記念碑でした。


こちらは『北海道石炭採掘創始の地碑』。この碑まで辿り着く道を探し、岬の森東山公園でそれらしい道を探し歩き回ったのですが見つけられませんでした。道中、同じ目的で散策しているという地元の方と出会い、藪漕ぎして崖を登るしか無さそうだと諦めました。国道から写真を撮るのが精一杯という、碑文が読めない謎の記念碑ですw


※2012年の訪問当時はここまででしたが、悔しいのでネットで碑文に何が書いてあるか調べました。総務省のふるさとポータル(現在は見れません)にあった情報のようです。

碑文『安政元(1854)年、徳川幕府は「神奈川条約」を米国外3か国と締結し、下田と共に本道の箱館を開港し、寄港する外国船に対し、薪炭・食糧を供給することにした。この石炭を供給するため幕府は当時、釧路領白糠に石炭の所在が確認されていたので、安政4年、シリエト岬(現在の石炭岬)に白糠石炭堀場を開設し、採炭を開始した。北海道石炭史上、最古の採掘地である』 昭和60年12月 建立 白糠町

また、ネットで調べるとこの碑に辿り着いた方もいらっしゃるようですが、面倒なのでやめておきますw


こちらは同じ白糠町でも少し離れた場所、西庶路にある記念碑『庶路炭鉱発祥之地碑』です。西庶路錦公園の一角にあります。


土台の石版には、殉職された方の氏名が記されています。


石碑の裏側
1984年7月吉日 閉山後、二十周年を記念し建立する とあります。


土台の裏側
草で覆われて見えにくい石版でしたが、明治庶路炭鉱と西庶路の歴史が刻まれていました。


公園前の通りは『明治通』となっており、明治鉱業との歴史を物語っています。


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