白糠線の廃線跡

2015年6月7日日曜日

廃線・未成線

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1983年に全線廃止となった国鉄白糠線。北海道白糠郡白糠町にある根室本線白糠駅から分岐、北上し白糠町二俣にある北進駅(旧釧路二俣駅)まで、およそ33kmのローカル路線でした。1964年に白糠駅から上茶路駅まで開業、その後1972年に政治の力で北進駅まで延伸したものの、1980年の国鉄再建法による特定地方交通線廃止の第1号として認定され、1983年に廃線、バス転換となりました。雄別鉄道上茶路坑の閉山、それによる沿線人口の激減、開業当初の石炭輸送という目的がなくなっていた、などの時代背景があります。

蓮花沢橋梁

上白糠駅から茶路駅間、共栄仮乗降場の手前にある蓮花沢橋梁です。歩道に面しており、金属パイプの防護柵が設けてあります。


この橋には、両サイドに橋梁プレートが遺っていました。


北進方向の橋梁プレートでは、1958(昭和33)年10月10日着手、同年12月15日竣功となっています。


そして橋脚には『1958-6』と刻印されています。見づらいですが。


対して、白糠方面のプレート。着手・竣功日は北進方面と同じ日の昭和33年。白糠線開業の昭和39年より6年前になります。


そして橋脚は『1958-7』と刻印されています。北進側が1958-6で白糠側は1958-7の刻印ですので、北進側の橋脚が先に完成していたのでしょうね。短い橋ですが、丁度月跨ぎで1ヶ月差がついたのでしょうか?


蓮花沢橋梁の上を確認すると、何かわからないものがありました。


北進方面を望みます。既にレールは撤去されていますが、草の生え方(枯れ方)がレールの跡みたいに見えるのは気のせいでしょうか?w

真加代川橋梁

上白糠駅から茶路駅間、共栄仮乗降場の先にある真加代川橋梁です。蓮花沢橋梁と同じく、金属の防護柵が設けてあります。橋梁プレートが4枚も遺っています。逆側は調べてませんので、もっとあるかも知れません。


北進寄りから1枚目。橋脚には1959-4の刻印があります。


北進寄りから2枚目。


中央の橋脚に3枚目。


白糠寄りの4枚目。1958(昭和33)年10月10日着手、同年12月15日竣功で、蓮花沢橋梁と全く同じ日です。


こちら側の刻印も1959-4です。橋梁プレートは1958年の竣功でしたので、橋が1958年に完成して1959年に開通したということになるのでしょうか?ネットでちゃちゃっと調べてみましたが、全くわかりませんでしたw


真加代川橋梁の上部、白糠方向です。

鍛高トンネル

茶路駅から縫別駅の間にある、しそ焼酎『鍛高譚(たんたかたん)』で有名な白糠町鍛高のトンネルです。


鍛高トンネルには、牧場の防護ネットにより近づくことが出来ません。


坑口の左側には「鍛高T」と書いた銘板が遺っています。


なんとなくですが、高とTが読み取れるような気もします。


トンネル内部には不自然に光が入っている部分が見られます。待避所でしょうか?フラッシュは使ってないので、どこからか光が入り込んでいるのでしょうか?


拡大・加工したものがコレですが、現地では全く気が付きませんでしたねw

第7茶路川橋梁

縫別駅から上茶路駅間にある、第7茶路川橋梁です。茶路川に架かる道路橋の観渓橋手前から第7茶路川橋梁へ近づきます。


第7茶路川橋梁の真上まで来ました。


第6と第7茶路川橋梁の間にある縫別トンネルの位置がわからなかったので、この橋梁伝いに白糠方面へ戻ってみるつもりでした。


第7茶路川橋梁に乗りました。橋には枕木も残っており、保線用の通路で茶路川を歩いて渡れそうです。


が、行こうと思えば行けたのですが、所々に落とし穴が開いているのでやめましたw


構造自体はまだまだしっかりしてそうな雰囲気だったのですが、結構な長さの橋だったので渡り切る自信がなりませんw この後、別のルートを探して縫別トンネルを目指しましたが、どうも農地を通らないと近づけないようで結局断念しました。


橋梁プレートは、これは剥がしたのでしょうか?剥がれたのでしょうか?不自然な形で大部分が欠損していました。

第10茶路川橋梁

白糠線の廃線跡は、現在も橋梁を中心に放置されていますが、2021年に一部の橋梁・跨道橋の撤去工事が行われてしまいました。これは2012年の当時の様子ですが、この橋梁も既に無くなっているかも知れません。


第10茶路川橋梁の真下です。路盤のほうに行ってみます。


路盤上は草が生え放題でしたが、少し歩いてみます。


成長した木が行く手を阻みます。


途中でカーブしながら茶路川を渡ります。


橋を渡りきったところです。少し危険な状態になっています。


この先も廃線跡は続いているようですが引き返すことにしました。


第10茶路川橋梁を振り返ります。徒歩5分程度の探索でした。

上茶路駅(冬)

国鉄白糠線が廃止となった1983年より、廃駅となって遺っている上茶路駅です。訪問したのは2012年でしたが、数年前までは駅舎も遺っていたようです。現在は解体され、ホームと廃線跡だけとなりました。


駅名標は何故か破れていますが、「しもほくしん・ぬいべつ」となります。廃止からもうすぐ30年になろうとしているこのホームの周りからは、凄い勢いで自然に還そうと襲い掛かってきています。


蔓か蔦か知りませんが、とにかく凄い状態です。


北進方向、右にカーブしています。レールは結構な長さで遺っていますので、辿ってみても良いかも知れません。


ホームもレールも木々の勢いに圧倒されています。


解体済みの駅舎にあったものでしょうか?川沿いには古そうなヤカンや錆びたバケツなどが落ちていました。


短いホームです。


駅舎もトロッコも無くなってしまいましたが、ホームと屋根と看板だけが遺ります。この足跡は全て自分のものです。


ホームに飽き足らず電柱まで自然に還そうとしているようです。周辺の電柱は、既に囚われの身です。


蛍光灯からコードが垂れ下がっている、と思ったら木だったりします。


あまり見ていると具合悪くなりそうな複雑な模様を描いていますが、数年後には完全に飲み込まれてしまうのでしょうか。


ホームの柱までもぐるぐる巻きにされていました。植物恐るべしw

上茶路駅(夏)

上茶路駅に続く道道665号です。夏に来てみました。


地面には、冬では見つけられないであろう枕木らしいものを見つけました。


地面は良く見えますが、葉っぱが元気一杯なのでホームの遺構がよく見えませんね。


木々の隙間を縫って駅名標を撮りました。


ホームに立って見る風景です。向かいのホームが見えますね。


実は虫も凄かったので、夏の上茶路駅はあまりオススメしませんw

第13茶路川橋梁

上茶路駅から下北進駅間にある第13茶路川橋梁です。ここは河原に降りて行けます。


第13茶路川橋梁の橋脚を確認。


早速路盤も確認します。


橋を渡り切ったところですが、この先も密林となって廃線跡が続いています。


引き返しがてら細かいところを確認します。碍子を発見。


レールは撤去されていますが、当時のものと思われる碍子や金属片などが見つかりました。


こちらは北進方面、この先は作場道第2橋梁があります。

作場道第2橋梁

上茶路駅から下北進駅間にある作場道第2橋梁です。作場道とは、農道や生活道路などを指すもののようです。今見るとこんなところに道路?と思うような場所ですが、どんな使われ方をしていた道路だったのでしょうか。


第13茶路川橋梁から伸びる盛土は、この作場道橋梁の周辺で崩され無くなっていました。


制限高2.7mのプレート
これで2.7mと言う事は、半分ほど埋もれているのでしょうか?


橋梁名プレートによると、着手が1966年8月で竣功が1966年9月となっています。盛土に隣接していたであろうコンクリート壁には『1967-8』と刻まれていました。


刻まれた数字は開通年度でしょうか?この作場道第2橋梁の位置は上茶路駅と下北進駅の間にあり、上茶路駅は1964年10月開業、下北進駅は1972年9月開業。白糠から路線を北へ進める過程で作られ、1967年8月に開通…という感じでしょうか?


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