北海道紋別郡遠軽町丸瀬布金山にある、北見鉱山。金山という地名は「かなやま」と読みます。鉱床が発見されたのは1914(大正3)年。試掘を開始したものの結果は思わしくなく、1918年に一度廃坑となります。その後、住友の所有となり1934年に伊奈牛坑として開坑、1948年に伊奈牛鉱山となりますが、1955年に規模を縮小、操業を一時停止し北見鉱山へと改称されました。操業の再開は1959年、閉山は1963年でした。現地には、かなり見応えのある選鉱場の遺構があります。
道道305号から町道(?)に入り、きんゆう橋を渡ったところにある案内図です。北見鉱山の歴史や生産実績などが書いてあります。金・銀・銅・亜鉛・硫化鉄が採れていたようです。ここはヒグマの生息地となっているようなので探索には注意が必要です。
案内図にある煙突を始めほとんどの遺構は既に無くなっているようですが、今回探索したのは『選鉱場』。鉱山の作業工程は探鉱→採鉱→選鉱→製錬の4つに分別され、選鉱場は採掘された岩石を鉱石と廃石に分けるための施設になります。ここで選鉱したものを、索道で鴻之舞鉱山に送っていました。この場所を航空写真で見ると、かろうじて選鉱場の遺構がぼんやりと見えます。
案内図にある道路も既に無くなっているので雰囲気でなんとか選鉱場を発見。看板から約20分ほど彷徨いました。この時期は緑に覆われて見つけにくいです。
選鉱場の下層部にはいくつもの垂直尾翼状コンクリートフィンが並んでいますが、その役割は知りませんw
一つ一つが大きいので見応えがあります!これまで見てきた鉱山製錬所遺構と同じく、斜面にひな壇状の階層毎に施設が並んでいるので、一段一段見ていきます。
上の段を目指して登山開始。石垣のようなものが見えてきました。
二段目ですかね?先程のフィンが見下ろせます。この時点で既に結構な高さです。
上屋の基礎なのか機械の土台なのか、たくさんのコンクリート遺構が見られます。
先程見たコンクリート壁の真上にきました。鉱石による着色でしょうか、コンクリートが様々な色彩を放っています。この選鉱場は1942(昭和17)年に造られたものと言われていますが、閉山の1963年まで使われていたものなのかは不明です。
コンクリート・金属・木材などいろいろ見られますが、残念ながら何がどうだかサッパリw
わからないながらも、このように規則正しく並んでいるのを見るのは楽しいです。
三段目くらいかな?斜面に沿って何かの土台がひな壇状に並び、大きめの石がゴロゴロ落ちています。
倒れたのか、最初からこの角度だったのか、そもそもどんな設備だったのでしょうね~
もう何段目かわかりませんが、五段目くらいかな。選鉱場の遺構を一段一段眺めながらの登山ですが、登るたびに次から次へと色々な形の遺構が見られるため全く飽きません。
滞在時間30分少々で下山しました。これまでの鉱山ではダントツに楽しい場所でした。探せばもっと色々見つかると思いますが、クマが怖いw