上尾幌地区炭鉱

2013年9月30日月曜日

上尾幌地区炭鉱

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北海道厚岸郡厚岸町上尾幌には、かつて小規模な炭鉱が多数存在していました。1917(大正6)年に旭炭鉱・八千代炭鉱を開坑したのがはじまりのようです。翌年には青葉炭鉱の前身である尾幌炭鉱で採掘が開始されました。1931(昭和6)年の満州事変による軍需拡大で上尾幌の炭鉱は全盛期を迎え、人口は推定4500人にもなっていたそうです。1935(昭和10)年には太平洋炭礦が鉱区を買収し新尾幌一坑を開坑、続いて王子製紙が日東炭鉱を開坑、日本特殊鋼管が青葉炭鉱を開坑、1939(昭和14)年には太平洋炭礦が新尾幌二坑を開坑します。その後の太平洋戦争激化により、九州への配置転換などで上尾幌地区の全炭鉱は一時休坑となりましたが、終戦後の1948(昭和23)年には新八千代炭鉱が発足しました。1950(昭和25)年、朝鮮戦争による特需で第二の全盛期を迎えましたが、1955(昭和30)年に制定された石油鉱業合理化臨時措置法によるスクラップアンドビルド政策ではスクラップの対象となり、上尾幌地区の炭鉱は1967(昭和42)年までに全山が閉山となりました。

参考文献:北海道産炭地域振興センター釧路産炭地域総合発展機構『釧路炭田産炭史』
規模の小さな炭鉱ばかりだったためか遺構はほとんど既に無く、現地に遺るのは壁のように立つ『選炭場の跡とズリ山』だけと言われていますが、それが何処にあるのか調べに行ってきました。2013年訪問。

まずはかつての八千代炭鉱の名が残る八千代林道に来てみました。情報が全く無かったので当てずっぽうですw


林道をしばらく進むと看板跡を発見。他には特に何も見当たりません。


見取図と書いた昭和54年の看板がありましたが、炭鉱遺構が出てるハズもありません。そうこうしているうちにハチが頭上を旋回し始めたので、ここで退却。何の成果もありませんでした。


八千代林道は諦め、目星をつけていた林道に向かいます。すると探索早々あっさり見つかりましたw


取り敢えず選炭場の壁と思われる遺構の場所を特定出来ましたが、まだ緑が多くて見づらかったため壁の遺構は秋頃再調査することにして、周辺を確認してみます。


付近は湿地帯になっており、鉄条網が張られ立入禁止となっていました。という事は、水源地か何かでしょうか?水源地への立入は禁止です。


ざっと見た感じ他には何も無さそうなので、今回はここまでとしました。


それから数カ月後、緑がすっかり元気を無くし始めたので再訪しました。夏に比べてかなり見やすくなっています。見やすさだけの問題ではなく、炭鉱跡では不意に落とし穴や毒の沼地などが思わぬ所にあったりするので、未知の場所で足元が見えないというのは致命的なんですよね。


やはり壁だけではなく足元でコンクリートの台座を見つけましたが、これだけでは何が何だかわかりませんし、単なる岩にも見えますw


選炭場の壁からは鉄管が突き出ていました。鉄管の直径はこぶし大程度です。


壁の裏側に回ってみました。上辺あたりに金属を確認出来ましたが、他には何もありません。既に山と一体化しているようにも見えますが、何しろもとの形がわからないので想像も出来ませんw


この選炭場、厚岸町の資料を調べてみると『上村炭鉱選炭場』とのことでした。冒頭の産炭史では登場しない炭鉱ですね。更に北海道新聞を調べてみたところ、この上村炭鉱についての見出しを2つ見つけました。

①1961(昭和36)年3月30日夕刊『上村鉱業で新発足 事業閉鎖の日東炭鉱(厚岸)』
②1964(昭和39)年11月2日朝刊『17年の歴史閉じる 上村炭鉱厚岸鉱全員一致で閉山式(厚岸)』

上村炭鉱は戦後すぐの1947(昭和22)年から操業し、1961(昭和36)年には日東炭鉱を取得したものの、1964(昭和39)年には閉山となった、という感じかな?ちなみに大正時代の地図では旭炭山となっていたこの場所、時代と共に経営者がいろいろ変わって、最後は上村鉱業だったということでしょうかね?


足元がすっかり見やすくなったので、選炭場周辺を調べてみました。何かありますが、これだけでは不明w


地面から突き出た金属も発見。


毒の沼地を発見w


コンクリート片です。この辺りにも建物があったのでしょうね。


ズリでしょうか。小さなズリ山です。


何気に石炭も落ちていました。


このボコボコした小山は全てズリのようです。


錆びついた一斗缶。


錆びついた門扉?の欠片もありました。


あちこちにこのような沼、水溜りの類がいくつもあります。夏場ウロウロしなくて本当に良かったw


ウロウロしていると煉瓦を発見しました。


良く見るとこの林道、煉瓦だらけでしたw 煉瓦の建物があったんでしょうね。


それから1ヶ月後。少し雪が降ったようです。何度か探索を重ね、厚岸町の炭鉱として紹介されている資料に出ていた『八千代炭鉱選炭場』の場所がわかりました。奥に見える黒い山は、ズリ山のようです。選炭場の面影はありませんが、手前の広い土地がそうだったのかも知れませんね。冒頭の八千代林道は国道を挟んで南側だったので、全くの見当違いだったという衝撃の事実が判明w


資料では『八千代炭礦炭住街』となっている場所です。別の資料では『新尾幌一坑、二坑の社宅≪炭鉱長屋≫』で、丘陵に沿って階段状に社宅が並んでいた、となっていました。ここは、大正時代の地図で旭炭山から尾幌炭山の辺り、後の太平洋炭礦の地図では新尾幌一坑となっている場所です。資料に出ていたのはそのくらい。小規模炭鉱が中心で大きな遺構が無いからか、ネット上には上尾幌地区炭鉱の情報がほとんどありません。


炭鉱長屋の道路向かいに尾幌川の支流が流れています。その川の周りに積み上げられたズリのようなものがありました。


近くにズリ山があったので登ってみます。


かなりの量のズリです。ここが選炭場だったのは間違いないでしょう。


下を見ると、何らかの金属遺構を発見。


同じ趣味の方のブログで見たことがある金属遺構です。


ズリ関係のものでしょうか?何故これだけがポツンと遺っているのでしょうね。


近くで確認したところで、これが何なのかはわかりません。他に同じようなものが遺っていても良さそうなものですが、見つけたのはこれだけでした。


これは『八千代炭鉱導水施設』。近寄って見ようと思った矢先、謎の動物の咆哮が聞こえたのでやめておきましたw


ズームで撮りましたが、枯れススキが邪魔でよくわかりませんねw


ここでも錆びた一斗缶を発見。何か見つかりそうな予感がします。


ありました!小さいながらも遺構を発見。


相変わらず何が何だかわかりませんが、中には石炭が詰まっています。


小さな鉄骨も発見しました。


もう一つ、コンクリート遺構を見つけました。


更に、尾幌川支流の川原にあったコンクリート。炭鉱と関係あるかは不明です。


鉄塔?電波塔?アンカーボルトもありますね。炭鉱とは無関係?


木登りして撮影。引いてみるとこんな感じでした。


この感じだと、かなり古そうなコンクリートです。


この辺りの林道は綺麗に整地されている印象ですが、林業で現役使用しているのでしょうかね。


帰りがけに立ち寄った炭鉱長屋の下辺りで、レールのようなものを見つけました。八千代炭鉱は上尾幌と鉄道が繋がっていたという記載もあったので、探せば何か見つかるかもしれません。


注意事項

遺構については個人が趣味の範囲で調べたものですので、必ずしも正確なものではありません。また、当ブログでは熊などが生息している危険な場所を扱うことがありますが、探索を推奨するものではありません。なお、当ブログを見て何らかのトラブルに巻き込まれても当方は一切責任を負いません。

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