北海道美唄市の市立沼東小学校。
現在も遺る校舎、通称『我路円形校舎』はA棟・B棟の2棟が並んで建てられました。
A棟の竣工は1959(昭和34)年、RC造3階建てで各階に6教室ずつの計18教室が造られました。
一方B棟の竣工は1960年、同じくRC造3階建てで12教室・図工室・音楽室・図書室・理科室・放送室が造られました。
円形校舎完成後、我路小学校と統合した時には1,635名もの児童が在籍していたようですが、この頃から国の石油エネルギー転換、スクラップアンドビルド政策が始まり三井美唄炭鉱が閉山(1963年)、次いで三菱美唄炭鉱も閉山(1972年)、翌年に北菱我路炭鉱の閉山(1973年)で市内の全炭鉱が閉山となり児童数が激減、沼東小学校は1974年に閉校となりました。
高台から見る円形校舎
現在解体されずに遺っているのは円形校舎のB棟になります。竣工から14年半で閉校となった建物です。
ちなみにすごい斜面を苦労して登って撮った写真ですが、雪が降っているせいもあって見辛いですw
校門と支柱
沼東小学校の校門と支柱です。支柱は旗をたてるためのポール用、のようです。
円形校舎B棟
解体を免れた沼東小学校の円形校舎B棟です。A棟がいつ解体されたのかは調べられませんでした。
なぜかは良くわかりませんが『心霊スポットとされている校舎』としても有名のようですね。廃墟だからという理由だけ??
そう言えば昔、霊が見えるという人に聞いた話によると「廃墟のようなところには霊が集まってくる」んだそうです。どういうシステムなのかは説明してくれませんでしたけどねw
仮にそうだとすると、うちの近所は心霊スポットだらけで大変ですねww
この季節は雪が積もっているため、校舎中央にある採光窓からの幻想的な光は望めません。
校舎の内部へ
内部の様子を確認します。
床が抜け、夏場は水没していると言われる1Fですが、真冬は当然凍っています。
相当水が溜まっているのを確認出来ます。木材が氷漬けになっています。
中央螺旋階段の最下部です。
ここにはダストシュートの出口らしきものがありました。
とりあえず上の階に移動。
螺旋階段で3Fへ
これは2Fですね。螺旋階段の周囲には教室などの部屋が円状に並んでいます。
螺旋階段は続きます。
3Fに到着しました。
壁には上り23段と書いてますが、もしかして下りは違うのでしょうか?w
面倒なので確かめてませんw
この真上には、沼東小学校名物の採光窓があります。
採光窓を確認
雪に覆われていなければ自然光が丸い穴から入り、幻想的な風景を見せてくれるようですが残念です!
まああれだけ雪が積もってたら光が入るワケ無いですよねw
今はただの丸い穴です。穴の中が若干赤く見えるのは錆でしょうか?
一様に赤い感じなのでこういう色なのかも知れません。
3Fの探索
螺旋階段のあとは周辺の部屋を探索します。
教室・図工室・音楽室・図書室・理科室・放送室のどれかですね。
拡大してやります。工事の時のものなのか、廃校後の落書きなのかは不明です。
あまり派手な落書きが無い物件ですので、こういうのは目立ちます。
これは…心霊スポットあるある!線香代わりのタバコが大量、しかも箱ごと。何故か洋モクが多い気もします。
密かにいかがわしいチラシもありますねw
給食搬送用エレベーター
この校舎には螺旋でない普通の階段もありますが、階段手前には給食搬送用エレベーターがあったようです。
緑の鉄扉を開けると、空洞とワイヤーを確認。
これはエレベーターの昇降ボタンかな?
2Fへ向かいます
普通の階段を降りて行きます。ちなみに校舎の外では雪が降ってます。
階段を降りると中央螺旋階段が見えました。
とある教室で、またしてもいかがわしいタイトルのビデオが落ちています。エルフ版下級生「あなただけを見つめて…」第4巻「ぬくもりを感じたい…」これは15禁版のようです。1988年発売。
もちろんタイトルから調べただけですw
背の低い扉を開けると、物置かな?ひっくり返った机のようなものが氷漬けになっています。
この学校で初めて目にした学校机になります。逆さですがw
近くにあった扉を開けると、給食運搬用のケージを見つけました。先ほどのエレベーターと繋がっているものだと思います。
給食運搬用というのはあくまでも予測ですが、他に運ぶものが思い付かないのでw
真冬の訪問でしたが陽の入るところは少し融けており、迂闊に乗ったら割れそうです。
なるべく凍ったところを選んで学校を出ます。
最後に屋外も確認します
外に出ました。最後は沼東小学校の体育館ですが、あまり大きさが伝わりませんねw
















































