(由良要塞【深山砲台】其の壱より)
旧軍道を下ること15分ほどで深山第三砲台(男良谷砲台)に到着。深山第三砲台には『男良谷砲台』という二つ名があるんですが、まず何と読むのかわかりませんw
ネットで調べても『おとこらたに』とか『おらのたに』とか『おらだに』とかいろいろです。『男良谷』という名称は歴史的資料(下記)にも記載がありますので、昔からその名前だったようです。地名だったのかな?
男良谷砲台には1砲座2門の2砲座があり、この砲側庫の左には第二砲座、右には第一砲座と配置されています。
第一砲座から奥に続く道を辿ると海に出られる階段があるようですが今回は行ってません。それどころか時間の都合で第一砲座自体をほとんど見れませんでした。
日没も迫ってきているため急ぎます。
男良谷砲台のすぐ近くには海軍由良水雷隊の遺構があります。
砲台の北方に海軍の魚雷発射場である深山基地があり、これはそこに行くための交通路らしいです。
トロッコ軌道で水雷を運んでいたようです。
アジ歴さんにあった、男良谷砲台(陸軍砲座と書いてある)周辺の位置図も拝借します。
崖上まで水路のようなものが続いてますが全くワカリマセン。排水路?工業用水路?魚雷関連?
『炉』の裏側です。煙突のようなものと接続しています。
早速、隧道に突入します。
隧道は右カーブになっています。非常にジメジメした空間です。
右側面にはジメジメが好きな生物が見えてきました。一応ボカシ入れてますw
崩落部分に到達。思い切ってフラッシュで撮影してみますと…ゲジゲジとカマドウマも居たかも。
奥にはコウモリがぶら下がっていますが、念の為、虫にはボカシ入れてますww
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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110108400、第18号 男良谷水雷発射場図(防衛省防衛研究所) |
アジ歴さんに200分の1縮尺の資料がありましたので拝借します。
4枚に分割された画像を1つに加工したものです。
見たところで素人には良くわかりませんが、こういうものが今でも埋まってるかと思うとワクワクしますね。
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「第33号 由良水雷隊兵舎仮設 同発動機室及ひ電燈室仮設同士官室及ひ附属物仮設位置図」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110169500、「極秘 明治37.8年海戦史 第8部 会計経理 巻6.7.8別冊」(防衛省防衛研究所) |
ということでこれがその由良水雷隊の発電所機関室の遺構、だと思います。
これの第一印象は『炉』ですね。
資料には由良水雷隊の兵舎、発電機室、電灯機室、士官室、付属物位置図と書いてますので、それらへ向けた発電所だったのでしょうか?
国土交通省関東地方整備局のサイトにあった第三海堡「電灯所」のウェブページには『明治時代の探照灯(現在のサーチライト)は、操縦桿によって水平から俯仰、左右に手で動かしたようです。
発電は機関舎にボイラー・スチームエンジンを据付け、発電機で発電し、探照灯までケーブルで通電しました。
常時探照灯は地下の電灯井に格納し、有事の際には、探照灯を電灯座に載せ昇降機で引き揚げて使用していました。
第三海堡では探照灯を台車に乗せたまま、照明所に運搬するために用いたと思われる軌条(レール)も確認されました。』という説明があったので、探照灯のために発電所を備えるというのは、明治期では一般的だったのでしょうかね?
井戸みたいw 煉瓦の円は美しいっす。
と言うわけで電灯所に向かいます。藪漕ぎをしながら海側へ向かって歩くこと数分、排水路らしき場所に出ます。更に排水路を辿って行くと、今度は大量の煉瓦。
目の前に煉瓦の坑門が現れました。
探照灯格納庫と言われるものですが、排水路が直接ここに繋がっていたら中は水浸しですね。海軍では電灯座と言うんでしたっけ?
枕木とレールの跡がしっかりと遺っていますね。右壁の抉れた煉瓦が気になります。
坑門の上部には扁額でもあったのか、跡が遺ってました。
この隧道にはジメジメ好きな生物が全く居なかったので快適に往復出来ましたねw
(参考:友ヶ島砲台)